7月のスマナサーラ長老による経典解説は、「スッタニパータ5 彼岸道品 学生ナンダの質問」でした。
当日の動画 http://fb.me/6X9ePLJ7a
Twitter実況中継 http://twilog.org/jtba_talk/date-170720/asc
《文楽》
nirāsā 日本語でわかりやすくすれば、何かに頼る、何かに支えられている、影絵芝居の舞台をつくるため沢山の人々が参加する。観客の妄想も含めて、みんな参加して一つのドラマを作り上げる。命とはそういうこと。いろんなものを組み合わせた、命とは一つのドラマなんです。分解したら何もない。
— スマナサーラ長老の法話メモ (@jtba_talk) 2017年7月20日
文楽の舞台をたのしむためには、客も参加しないといけない。一つひとつのパーツを見ると、なんだこれ?と思うが、組み合わせると、あぁよかった、感動しました、と満足して帰る。誰一人、「生きる」とは、一つ一つの詰まらないパーツを組み合わせた、ロクでもないドラマであると気づいていないんです。
— スマナサーラ長老の法話メモ (@jtba_talk) 2017年7月20日
そこで、芸術が大事だと思うように、生きることは大事だと思っちゃうと、一つ一つの小道具をえらく大切にしないといけなくなってしまう。私たちは「生きる」というドラマに引っかかって、必死に小道具のメンテナンスをしているんです。nirāsāという言葉でお釈迦様は、この生きるというドラマは、
— スマナサーラ長老の法話メモ (@jtba_talk) 2017年7月20日
そこで、芸術が大事だと思うように、生きることは大事だと思っちゃうと、一つ一つの小道具をえらく大切にしないといけなくなってしまう。私たちは「生きる」というドラマに引っかかって、必死に小道具のメンテナンスをしているんです。nirāsāという言葉でお釈迦様は、この生きるというドラマは、
— スマナサーラ長老の法話メモ (@jtba_talk) 2017年7月20日
……マジックショーは観客が阿呆でないと成り立たないでしょ? 人生というドラマを分析することなく、「芸術だ」と価値を入れると、生きることに依存して、束縛されてしまう。眼耳鼻舌身から刺激を入れることで、人生というドラマが現れる。でも、依存というカラクリについて考えたことがない。
— スマナサーラ長老の法話メモ (@jtba_talk) 2017年7月20日
nirāsā この依存を絶ったら、聖者ですよと。心から完全に依存症が消えたならば、本物の聖者ですよ。
— スマナサーラ長老の法話メモ (@jtba_talk) 2017年7月20日
このお話は動画(http://fb.me/6X9ePLJ7a )で、56分頃からです。
経典解説は夜6:30から行われましたが、昼間はパティパダーの発送ボランティアがありました。
発送ボランティアとは、パティパダーを会員宛てに送る封筒詰めなどの作業のことです。
あす土曜日は初期仏教月例講演会がありますし、
この週末を使って、北は北海道、南は九州から来た方々もいました。
クサラダンマ長老がゴータミー精舎で雨安吾をすごされているので、食事のお布施の支度も賑やかでした。
おやつのあとは静かに本堂で過ごせました。
そして夜には経典解説を聴いて、一日でギュッと凝縮して善行ができたような気がします。
この功徳をまるっと生きとし生けるものに回向いたします。