ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

パティパダー 2024年7月号 智慧の扉 なぜ人生は「納得がいかない」のか? スマナサーラ長老

仏教とは「生きる」という問題に答えを見つけた教えです。教えと言っても、宗教とは違った解決方法を示しました。ブッダは世の中の決まりや固定概念を一切捨てて、「生きるとはどういうことか」と客観的に観てみることにしたのです。お釈迦様は出家する前、人生に一つの問題があることを感じていました。それは「納得がいかない」という点です。よくよく観ると誰しも自分の人生に納得しているわけではない、とわかったのです。現代の世の中を見渡しても「納得がいかない」ということが随所にあります。例えば、私たち人間は速く遠くへ移動するために乗り物を開発しました。自転車、自動車、電車、飛行機と、より早く移動できる機械を作り出してきましたが、「もう満足だ。これ以上新しい開発は必要ない」となっていません。医療システムも同様です。昔とは比べようもないほど医療環境は整いましたが、不満がまだまだ残っているでしょう。病気や薬品などの研究開発がずっと続いています。つまり現状に納得していないのです。

 約2600年前のお釈迦様は、次に自分自身を観察してみました。納得できないと感じているのは、この自分だったからです。客観的に調べてみる対象は外の世界ではなく、自分の中にあると考えたのです。「これこそが問題だ」と指差す先を、外側ではなく自分自身に向けました。もし相手が自分を非難しても、どのように反応するのかを決めるのは自分自身です。私たちは自由な選択権を持っているのです。例えば「あなたはバカだ」と言われて「どうしてわかったの? 隠してたのに」と切り返すために、私たちにどれほどの自信と自由が必要でしょうか。そこに想像できないほどの自由な世界が広がっているのです。これは自分を観察すると達する境地です。相手の怒りの感情に共鳴せず、自分の貪瞋痴に溺れず、自由自在に対応できるのです。

 さらに自己観察すると、どうしても解決できない苦しみが観えてきます。その一つは「どう頑張っても必ず死ぬ」という事実です。一方で「生きていきたい」という強烈な願望が自分の中にあることもわかります。しかしこれは、手で掬った雪を焚き火のそばに置くようなものです。炎の熱で雪が溶けるように、生命は最終的にあっけなく死ななくてはなりません。生きていきたいのに必ず死ぬという「納得がいかない」状況に陥っているのです。ブッダは自分の内側を観察し続け、生命にとって普遍的な苦しみから自由になったのです。そしてブッダはその「自由になる方法」としての「自己観察のやり方」を、私たちに余すところなく教えています。自己観察して達する最終ゴールは解脱です。解脱とは、自由そのものなのです。

(了)

 

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パティパダーは日本テーラワーダ仏教協会の月刊誌です。