年齢を重ねて孤独を感じることは、自然の流れです。しかし、「孤独が耐え難い」となると別問題です。「耐えられない」ということは、人間関係にひどく依存している表れです。歳をとっていく中で、肉体的ではなく精神的に、自分が独立することを考えた方が良いのです。賑やかな若い人と仲良くしたくても、残念ながら年寄りは仲間に入れてもらえないものです。若者を羨ましがるより、年長者の目線でものを見るべきです。「まだ三十、四十代は、子供やら住居のことやら、問題をたくさん抱えている。でも私にはもう子供も誰もいないのだから、そういう問題とは無縁だ」と、さまざまな束縛が自分から離れていった解放感を感じることができます。逆に束縛があることで自分が喜びを感じていたならば、問題がなくなっていくと幸せよりも孤独の辛さを実感することになります。
社会との関係は、年齢を重ねると希薄になっていくものだと理解してください。そんな時、私たちが憶えておくべき言葉をお釈迦様が教えてくれています。「Sabbaṃ pahāya gantabbaṃ【サッバン パハーヤ ガンタッバン】(全てを置いて逝くべきである)」です。亡くなるときは何一つ持っていけないよ、という戒めです。このフレーズで、「逝くべきである」にあたる単語はgantabbaṃです。しかし、gantabbaṃとは必ずしも死を意味しない、「You have to go(行かねばならない)」という意味です。ですから、誰でも口ずさみやすいフレーズになっています。
飛行機に乗るとまず、もしもの時の避難方法が機内放送で流れるでしょう。避難するときは荷物を一切持たずに、脱出シューターで滑り降りて外へ出なくてはいけません。いくら大事な荷物を持って飛行機に乗りこんでいても、そのカバンを持って脱出できないのです。まさに、「全てを置いて行くべきである(Sabbaṃ pahāya gantabbaṃ)」という状況です。その時には自ら荷物を捨てて、脱出シュートを滑っていく方がかっこいいでしょう。乗務員さんから注意され、説得されて渋々とカバンを座席に置いて、未練タラタラで避難するのはどうも格好が悪い。それと同じく、年齢を重ねる過程では、自分が執着していた体力や美しさなどを捨てる方が気持ちよく過ごせます。
歳をとって、血糖値やコレステロール値が高いと言われて、「なるほど、ではケーキを食べません。白いご飯もやめます」と覚悟を決めれば、「あぁ、もう食べられないのか……」と苦しまずにいられます。執着していたものを捨てて進んでいくと、最期には誰でも体さえ捨てる羽目になります。本当に「全て」を置いて行かなければならない、というあのお釈迦様の言葉の通りだと、身をもって体験させられます。このような視点から、私たちは自分の人生を観察した方が良いのです。(了)
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パティパダーは日本テーラワーダ仏教協会の月刊誌です。