(ブッダの貧困対策とは?【転輪王1】より続きます)
現代の日本という国を見ても、みんなあらゆる才能を持っているんですよ。人は才能で生きていかなければいけないんですよ。
自分の持っている才能が、自分の収入源なんです。
才能があってもそれを生かせるところがなかったらどうするんですかね。
歌手がいても誰も聞いてくれなければ、どうやって生きて行けばいいんですかね。
だから経済学っていうのは、国民の才能が生かせる場を作ることなんですよ。
現在の経済学とずいぶん違うでしょう、考え方が。現代経済学は弱肉強食で。できる人は儲かりなさい。あなた方が死んでも知ったことじゃない、と。
最近わたしが聞いたことですが、(アメリカが)他の国々に命令するんですね。資本主義は守ってください、いろいろな規制を作らないでください、と。あれは世界のために言っているんじゃなくて、自分のために言っているんです。自分の国では、規制っていうのはやりたい放題。
世界経済がダメになったのは誰のせいですかね。アメリカのせいでしょう。しかし、自分たちが儲かるために、あんたたちは知ったことじゃないというのが、現在経済学なんです。
日本にしても、アメリカでリーマンブラザーズが壊れた瞬間で、三時間以内で株の売買を一週間ストップしたら、人々のお金がキチッと止まるんですよ。30秒で一千万単位でお金がなくなっちゃたんだから。みなさまにはそんなに大金がないかもしれませんけど、会社経営している人びとにお金が無くなっちゃうと、どうなりますか。商売がストップしちゃうとかわいそうですよ。そこで働いている人がみんなクビになるでしょう。
金持ちを守るというんじゃなくてね、キチッと国を守る、瞬時に判断すること。それが政治家に必要なことなんですよ。
親が医者だったら、子供を強引に医者にする。能力あるかないかどうでもいい。それではダメなんですよ。
その人その人の才能、やりたいことを仕事にさせたほうが本人も助かるでしょう。
仏教が語る経済学っていうのは、現代人には全くピンと来ないかもしれませんけど、それが道なんです。
お釈迦様が古い物語を持ってきたからと言って、現代に通じないことを言っているわけじゃない。曲りなりにでもそういうことをやると、国は倒れないんです。
スリランカが世界でも貧乏な貧困な国のリストに入っていますよ。しかし、国の経済はしっかり守っています。あれもこれも規制、というのはないんです。自由です。
しかし倒れないように、倒産しないようにしてあげる。
スリランカである一つの保険会社があって、経済がおかしくなって倒産しかかったんですね。なにかインチキやったんですね。すると別の会社が「わたしたちに任せてください」と政府に言って(なんとかなった)。
そういうふうに微妙にでもブッダの考え方が入っていると、結構安心して国が守られます。
そういうことで、分かりやすく言えば、金をばらまいたらいいっていうんじゃなくて(筆者注・2008年当時の定額給付金のこと)、それはお釈迦様が断言的に反対することなんです。それで微塵も国の経済がよくなりません。
みなさま、三万円もらったからって何かなる?
前例もあるのに。前例を見たら最悪でした、だから今回もやるぞと。
わたしには関係ありませんが、わたしは皆さまと生活しているんだから、皆様が苦しむとこれはわたしの苦しみでもありますよ。見ていられなくなりますね。ものすごく悲しくなります。一日二千万円単位で赤字になるというのはどういう事態でしょうか。夜寝られるんでしょうかと、悲しくなるんですよ。
やはり人々はニコニコと笑って、うまく行っているんだという、あの笑顔を見たいんですよ。
そういうことだから、このエピソードを紹介したんであって、仏教は貧しい人々を助けないというのは、逆。助けなさいよと。しかし、あほでやっても意味がないんですよ。
人が病気になったら薬をあげなさいと言いますけど、どんな薬でもおなか一杯飲ませるんじゃないでしょう。病気に適した薬を適量飲ませるんです。それが病気の人を助けたことになるんです。
そこが、仏教がものすごく強調するポイントなんです。
なりふり構わずやりなさい、じゃないんです。
いつでも理性で、結果をチェックしながら生きてみなさい、と。
そういうことで、やればいい、ということじゃなくて、やっていることで自分が期待する結果が出てくるのかと、ずーっとチェックする機能、この午後学ぶ、ヴィパッサナー瞑想も、観察機能なんですよ。
その場合は、ものすごく精密な観察ですけど、日常生活の中でもわれわれは、日々やっていることを観察してほしいんですよ。「これでいいのか? 善い結果になるのか?」
テレビ見てはいけません、ではなくて、これでいいのか? と。
全くテレビを見ないこともダメだと分かるでしょう。情報を知らなくなっちゃう。だからといって、あまり見すぎもダメと、分かるでしょう。この程度がいい、と。
子供がゲームをやっては悪いわけじゃなくて、子供のその能力を与えてあげれば、「あなたの仕事は勉強しなくちゃいけないし、部屋も片づけなくてはいけないし、これも、あれもやらなくてはいけない。遊ばなくちゃいけないし。それがあなたの仕事だから、それを考えて頑張ってください」
というくらいの躾ですよ。子供も、思っているほど馬鹿じゃないんです。お互いに、大人は子供を馬鹿だと思っているし、子供は大人のことを何もわからない馬鹿だと思っている。うまく行くわけないんです。
お互いにある程度の能力はあるんです。生存する、生き延びる能力は。それを生かしてほしんです。
そういうことで、観察しながら生きる。
( 一億円のものを捨てて、百円のものを買う?【転輪王3】へ続きます)
関西定例瞑想会 2008.11.16 スマナサーラ長老法話
http://www.voiceblog.jp/najiorepo/717080.html 音声ファイル・上よりメモしました。
「転輪王1」をもう一度チェックする⇒ブッダの貧困対策とは?【転輪王1】
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