ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

ブッダの言葉は断言的に正しいか(ウェーサーカ祭2009)2

「唯我独尊」の真意(ウェーサーカ祭2009)1 より続きます)

仏教は、ただ瞑想するだけで仏教ではないんです。

仏教はすごく負けず嫌いの教えなんです。何をやっても負けない。初めて料理する人が料理をしても、仏教徒なら決して負けません。何とか工夫して結果を出す。そこで工夫することでわれわれの智慧が開発されていく。

 

人間関係をどうするのかとかあれやこれやと、それで分かってきます。

 

それで仏教徒であるわれわれは、家族のことで失敗してはならないし、仕事のことで、友達関係で決して失敗してはならない。皆様のお金の管理でも。

いかなる場合でも失敗してはならない。

早く病気になって倒れないように管理しなくてはならない。

人は誰でも病気になりますけど、35歳で糖尿病になりたくない。生まれつきの病気だったら、事故を起こしたら、それは何のこともない。

 

しかし、われわれの性格から出てくる病気っていうのはすごくカッコ悪いんですね。

食いすぎちゃって35歳で死んだとか、糖尿病で困っているとかというのはカッコ悪いんですね。

 

そういうことで、糖尿になる遺伝子持っていても病気になる時期があるんですよ。

がんの遺伝子を持っていたら、それはそれで構いませんけど、やっぱりそれでも時期があるんですね。二十歳ではちょっと困る。

 

そういうふうに自分の人生についても、失敗しないことなんですね。

食べ物にしても適度を知って食べて、お金もよくよく適度を知って、それを行う。

よくわたしが言うことは、決して借金してはいけませんね。テレビコマーシャルでも、ローンの会社のコマーシャルがやってますね。わたしが、腹が立っているコマーシャルなんですよ。

 

「マネーにもモラルを」とかね。「計画的に」とかね。結局コマーシャルが言っているのは「お金を借りなさい、うちの会社で」と。お金を借りた時点で計画的じゃないんです。計画できないんです。

 

仏教的になってくると、国が大変なことになったとか、人がホームレスになったとか、それはないんです。

 

今は世界的な問題で、日本の巨大企業のトヨタも何百億円単位で赤字になったとか。仏教的にやればそういうことは起こりません。とにかく存続させて見せる。智慧っていうのは悪い時使うものですよ。物事うまく行っているときは、誰でもワイワイやってしまうでしょう。それでバブルではじけて終わり。

 

本当に頭の良い人は、一番悪条件の中でやって見せる。その時出てこない智慧と言うのは何の役にも立たないでしょう。だから仏教は問題に対して、「問題」と観ない。それは自分の挑戦する課題なんです。今度何に挑戦するのか? と。どんな問題を解決するのかと。

 

パズルの本も売っているでしょう。300円くらい払ってパズル買うでしょう。わたしもやっていましたが、今はやっていません。

何でパズルを買うのかと言うと、パズルだから買うんです。何が面白いのかと言うと、解くことが面白いんです。

 

人生はそういうものなんです。パズルがなかったら、問題がなかったら堕落しちゃうんですね。そこで一つ一つの問題を解決することで、われわれはしっかりとした人間になっていくんです。

 

お釈迦様ほど優れた人はいないんだから、われわれに道を教えているんです。お釈迦様にはすごい責任感があったんです。一言一言、ものすごく慎重に気を付けて語られています。わたしは自分なりにものすごく不思議になることがあるんですよ。わたしはどんな文章でも、何かケチを付けられます。どんな偉い人の言葉でもね。なんかちょっと、ケチを付けようと思ったらできるんです。

 

別に悪気があるわけじゃないんです。悪意もない。相手の人の言っていることも分かります。分かりますけど、どこかでちょっとした欠陥が見えるんです。

 

しかしブッダの言葉には、どのような視点からも、ケチを付けられないんです。

言語で、不完全な言語で、完全に語るということは、ブッダ以外にできないんです。

 

だからわれわれは誇りに思うべきですよ。

ブッダの教えに出会ったことは。すごい教えに出会ったんです。もう誰にも負ける必要はないんです。ときどきある人はいろんな友達としゃべって、負けちゃって、「相談したいことがあるんです」と聞きに来ます。

「なに?」というと、「友達にこういうことを言われちゃって帰って来た」と。

それでわたしは答える気もなくなる。「それであなたは負けてきたのかと。仏教徒は負けるわけないでしょう」と。「あなたは仏教に迷惑だ」(笑)

 

実際にそういうふうに言ったことがありますよ。

「あなたが何か口を開くと、みんなにクタクタにやっつけられる。仏教のことで何か言うならば、わたしのように『何か私に反論できますか?』というふうに言うべきです」

 

わたしはあえて悪口や乱暴な言葉を『あえて』使っているんです。

丁寧にしゃべらないで。

それも一つの挑戦なんです。「できれば、反論してみてください」と。

こんな品のない、カッコ悪い、失礼な言葉まで使ってしゃべってますけど。神様をわたしは一匹二匹と数えるでしょう。わざとやっているんです。

 

わたしは別に皆様ほど勉強していないかもしれませんし、ほとんど怠け者で「勉強だったらいかにサボるか」という智慧だけはあります。レポートでどうやったらA+をとるのかというカラクリだけは知っています。

 

わたしは何で堂々と語れるのかと言うと、それはブッダの智慧なんです。どこでも負けない教えなんです。

だからお釈迦様が「自分だけです、生まれてすぐしゃべったり、歩いたりしたのは」。

そこでウェーサーカでは、われわれはお釈迦様の誕生も祝います。日本の花祭りです。それからお釈迦様の成仏、悟りを開いたことも祝います。それから涅槃に入られたことも祝います。できるだけお祭りはするというね。

 

そういうことで今日は、実際には満月の日は終わっていますけど、そんなに厳しくはないんだから、一年に一回は、お釈迦様を尊敬して特別にお釈迦様のことをありがたく思うお祭りなんですね。

われわれが楽しむんです、ブッダのことは。お釈迦様は何も要りませんからね。他の宗教とは違いますからね。ただお釈迦様のところで、お釈迦様の教えを勉強しながら、ただワイワイと楽しめばよろしいんです。

 

とにかくブッダを信頼してください。

ブッダの言葉なら断言的に正しいんです。

誰とも戦わないで調和する。でも腰抜けではない(ウェーサーカ祭2009)3 に続きます)  

 

(ウェーサーカ祭2009.05.17 スマナサーラ長老法話

http://www.voiceblog.jp/sandarepo/864285.html よりメモしました)

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スコータイ遺跡(出典・タイ観光局ホームページ)

 

関連エントリ:みんな大好き・お釈迦様のエピソード

お釈迦様が「人間」だと困る人たちとは?【日本のお寺 3】 - 瞑想してみる

(お釈迦様は)普通の人間で生まれて、人間として一緒に育ててもらって、それで自分の頑張りで悟りに達して、それをみんなに教えている世界でしょう。インチキは一かけらもないんです。

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