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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

人間に生まれたのはマレのマレ|人間と五戒(2)

説法めも 五戒

五戒を守るのは非常に厳しい状況です|人間と五戒(1)より続きます)

(質問者の方は)戒律っていうのは一つの、儀式のように感じている可能性がありますね。儀式・しきたり・習慣、それさえできないと進めないんではないか? と。しかし五戒は儀式ではないんです。

この五戒は、自分の弱みと戦うことなんです。自分の獣の精神と戦うことなんですね。

 

たとえば、動物なんかは嘘つかないんです。言葉しゃべりませんからね。でも自分が飼っている犬猫って言うのは結構カラクリやっているんです。飼い主をだまそうと。それは自分の都合でやっているんですね。

 

動物は、殺生はするしね。肉食動物たちに殺生はやめなさいと言っても意味がない。

 

だから、問題は、「われわれはなんで人間になったのか?」ということです。

生命の中で、人間と言うのは一番少ないんです。生命にものすごく次元があるんですね。それをすべてまとめて七つにしています。七つ次元がありますけど、それぞれの次元は一つだけでも、ものすごく広いんです。

六道を聞いたことがありますね? 畜生、餓鬼、阿修羅、人間、神々、梵天という六つですけど。動物の世界どうですかね? 微生物からクジラまで動物の世界。どれほど広いのか、数があるのか。それに、こういう体を持っていない生命のいるんですね。地獄はその一つなんですね。

そうなってくると多様多彩なんですね。そのなかでも、地獄は108あると言っているんですよ。それは、地獄四つに、それぞれ108が付いています。いったん地獄に堕ちたらすべて通過しなくちゃあかんです。そういう話が一応ありまして、分からない話かもしれませんが天界も同じです。すごく幅広くて、すごく生命がいる。

現代的に考えても、宇宙って無限的でしょう。そこに人間と同じ生命がどれほどいると思いますか? お釈迦様はそのなかでも、ごく普通に八万四千の宇宙体系に話をするんだというエピソードがあるんですよ。その話が事実かどうかわたしはわかりませんけど、昔から仏教の人びとは、人間の世界はここだけじゃなくて、八万四千程度と、これはすごくたくさんあるという意味なんです、それがあるんだよと。

 

だからいまだに科学者が地球と同じ条件のものを見つけて無いでしょう。見つからないんです。なぜならば惑星と言うのは光を持っていなんだから。太陽は何とかわかりますね。遠く遠く、一粒の光としてしか見えない太陽の間に、チラッと何か黒い点が横切ることを待ち構えているんですよ。

よくそんなことをやると思いますよ、何年もかけて(笑)

 

で、この地球を見たっても、太陽の前を惑星が横切るようなチャンスはかなり少ないんですね。わたしたちによく経験があるのは、月食と日食でしょう。一年に一回も起こらないでしょう。しかし推測すれば、いくらでもあり得るね。

ですから、生命っていうのは、ものすごい、幅広い。生命の数も宇宙のことも人間が考えるのはやめなさいとお釈迦様は言っています。そんなのは考えても頭がいかれるだけだと。

 

それでわたしのポイントはこういうことなんですね。

この中でも、まれのまれで、われわれは人間になったんです。すべて因果法則なんですね。

だから「なんで、わたしはこんな体の形になったのか?」と、それはそれぞれの因果法則です。数学ができる人もいて、数学が嫌いな人もいて、音楽が好きな人もいて、音楽が全く下手な人もいたりと、あらゆる条件がそろって今成り立っているんですね、肉体が。

 

心にしても、自分が好きなように管理できないでしょう? なんか心は心の勝手で、肉体は肉体の勝手で、それぞれの法則を持って生きているんですね。

 

それで、すべての生命に因果法則によっていろんな制限が成り立つんです。自分の命でこれはできる、これはできない、というものが成り立つんです。

わたしたちには神々やら餓鬼道を分かりませんから、自分にある手あたり次第のデータで考えるしかないんですね。

 

海の中に鰯っていう魚がいるんですね。鰯はいくら踏ん張っても、サメがやることはできないんです。タコがやることでも、鰯には無理でしょう。

 

じゃあ猫に、水の中で生活してと言っても、無理。食べるものも明らかに違いますね。

ヤギ、ヒツジに人間と同じご飯を食べさせられません。

こういうふうに制限があるんですね。それを乗り越えられません。

 

動物にも心があるんです。あるんだけど、思考能力は肉体を維持する程度にストップさせています。魚にも心はあるけど、肉体を維持する程度でストップさせています。ミミズにも心があるけど、ミミズとしてあの肉体を維持する、子孫を作る程度でストップさせています。その制限は全く破れないんです。

 

人間も肉体を持っているんだから、肉体の場合はいろいろ制限があります。目が有るんだけど、すべて見えるわけじゃない。耳があるけど、すべての音が聞こえるわけじゃないんですね。われわれには聞こえない音は存在すらしない、という気持ちなんですね。光の一部しか見えませんね。たくさん光があるのに、見えない。レントゲンの光とかね、あれは普通の光でしょ。しかし、われわれには見えない。レントゲンの写真を見ても、そこでX線と言う光が見えるわけでもない。だけどあれは明らかに光でしょう。

音もそういうことでね。

 だから犬は世間のすべてを知らないのと同じく、人間も存在のすべてを知っているわけではないんですね。

 

そこでポイントに戻ります。

人間には心にある制限を外せるんです。これは神になってもできません。死後、神になっても、心を自由自在に使うことはできないんです。

今、自由に使えませんよ。しかし人間にだけ、心に制限というカギがかかってないんです。今われわれは、肉体に対して心をスッと「絞って」いるんです。われわれの心が持っているすべての能力を、肉体のために使っているんです。しかしそれ以上もできるっていうことを、もう分かってほしいんですね。

人間には心の制限を外せます|人間と五戒(3)に続きます) 

 

東京・法話と実践会 2015.06.14(日)

http://www.ustream.tv/recorded/63713487 よりメモしました。

 f:id:thierrybuddhist:20150619132135j:plain

関連エントリ:五戒とお酒(1)適量ならいいですか?

わたしにちょっと教えてください。適度ってどのくらいの量ですか?

 質問者「酔っぱらいすぎない程度……?」

 「酔っ払い過ぎない」というのは、どのくらい酔っぱらえばいい?

 質問者「ん~……。なんとも、わかんないです」

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