読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

五戒とお酒(1)適量ならいいですか?

説法めも 五戒

質問

「五戒の一つにお酒を飲まないということがあるんですけど、お酒を全く飲まないということでしょうか? それとも、適度に飲むならいいのですか?」

 

 回答(スマナサーラ長老)

 わたしにちょっと教えてください。適度ってどのくらいの量ですか?

 

質問者「酔っぱらいすぎない程度……?」

 

「酔っ払い過ぎない」というのは、どのくらい酔っぱらえばいい?

 

質問者「ん~……。なんとも、わかんないです」

 

でしょ。そういうことなんです、わたしが言いたいのは。

われわれは、あいまい・中途半端で生きてるんです。しかし、あいまい・中途半端では(しっかり)生きていられません。

 

天ぷらを揚げる場合は、油を、まぁ温めればいいや、ということじゃないんです。ちゃんとした温度があるんです。材料を油に放り投げて、気づいたら取り出す、ということじゃないんです。精密に計算してやらなくちゃいけない。ですからわれわれは、家でお母さんが作る天ぷらよりは、店の天ぷらのほうが美味しく感じるんですよ。

天ぷら屋さんはプロだから、ちゃんと正しく揚げているんです。

 

車を運転するときでも、そこそこ適当でいい? しっかりやらなくちゃあかんでしょ?

 

人生は全体的に、あいまい・中途半端ではなく、明確に行わなくてはいけないんですよ。

 

小さな子供が字を書こうとすると、鉛筆を握ってグニャグニャと動かして、字になっていないんですね。「お兄ちゃんが書いているんだから、わたしもやります」と言って、鉛筆の握り方もまだ分からなくて、グニャグニャと書く。

わたしもちっちゃな子供たちから手紙をもらったことがあります。「せんちぇーに、てがみかきまちた」と言ってくれるんですね(笑) 手紙と言っても、グニャグニャと丸かなんか書いてあるだけなんですね。でも子供の気持ちは分かるから、すごく有難がって、感謝して、褒めまくって、手紙をいただきますけど。

 

ここで、あなたに理解してほしいのは、人生には「適当・そこそこ」というのはないんです。

われわれは毎日しっかりと生きているんです。

 

薬も、注射も「ま、適当に」ではないんですよ。

本来注射の液量を決める場合、体重を量って、どのくらいの細胞を持っているのかと調べて、それでちゃんと量を決めなければあかんですよ。

 

わたしが言いたいのは、わたしたちに使う注射の量が、象さんにも合いますかね? 合わないんです。だから、象さんには太い注射器で大量に打つんですよ。それを人間に打ったらその場で死にますからね。

 

この「そこそこ・適当」をはっきりさせなくちゃいけないんですね。それが一つ。

 

これはあなたの質問にはあまり関係ないところなんですね。しかし、人生はどう生きるべきかということをお釈迦様がしっかり教えているんだから、あいまい・いい加減に「こうではないか、ああではないか」「こうだと思う、ああだと思う」とゴチャゴチャ思って世の中を生きているでしょう。何一つもまともじゃないない。まともじゃなければ何一つもうまく行かない。だからハッキリ決めて行動すると、しっかり結果が出るんです。世の中から失望というのが消えるんです。失敗というものが消えるんです。

 

たとえば世の中で、平和がいいでしょ、どうみても。

しかし平和があるんですかね、世の中に。

 

面白いでしょ? 平和が嫌いな人間を出してくれ、と言うと、いないんです。アルカイダ組織、ISISに聞いても、「イスラム教の国々は平和だ」と言うんです。イスラム教は平和の教えだと。では平和があるんですかね? おかしいでしょう。

 

すべての人類が、平和が好き、平和のために生きている。平和を期待している。平和のためならば何でもやる、なんですが、一度たりとも歴史上、平和な時間はなかったんです。

 

何ですかね? これは。

 

いい加減でしょう。適当でしょう、何でも。

だから、なんです。

 

ブッダの教えを聞いてみてください。世界丸ごと平和になるんです。世界だけではなくて、地球上に住んでいるすべての生命から強烈な波長が出るんです、そのときは。

 

なぜか? お釈迦様がちゃんと教えています。個々ではしょうがない、どんな生命も。個々が自我を張るんですね、「俺が偉い」と。そこが問題。個人が個人であること、個性をしっかり守りつつ、自我を張らないことなんです。

 

あなたはあなたで生きる権利がある。わたしはわたしで生きる権利がある。わたしはあなたの生きる権利を侵害しませんし、あなたは私の生きる権利を侵害しません。そのかわりに、わたしの個性を守って楽に生きられるように、あなたは協力する。あなたの個性を守って成長して生きられるように、わたしが何か助けることができれば協力してやってあげる。そうすると生き方がハッキリしているでしょう? 

 

それが平和のやり方なんです。政治も経済学も宗教も何もいらない。

人間一人一人が自分の命に責任を持って生きているだけです。

 

そういうふうにしっかりと生きて、誰でも希望して期待する幸福を目指して生きる道を、ブッダは教えているんです。

それで「幸福はなんだ?」と思ったら、また自我があるんですね。

自我で決める幸福は幸福じゃなくて破壊なんです。

 

そういうわけで、「そこそこでいいんじゃないか、適当でいいんじゃないか」というのを、人生全体に対してやめてください。

五戒とお酒(2)悟りと食べ物の関係につづきます)

 

(東京・法話と実践会 2015.05.10

http://www.ustream.tv/recorded/62088084  よりメモしました)

f:id:thierrybuddhist:20150513205244j:plain

関連エントリ:

thierrybuddhist.hatenablog.com

すべての「説法めも」を読むには:

【目次】説法めも

広告を非表示にする