(寂しい(3)誰かに依存したい より続きます)
世の中の優しい言葉も糸がついています。
それはボランティアであっても糸がついているんです。世界で派手にボランティアをやっているいのは、キリスト教の方々でしょう。しかし、どこでも好まれないんです。褒めているのは、ヨーロッパ人のキリスト教徒の方々だけですよ。
インドネシアですっごい地震があってね。スリランカにも津波が来ました。西洋から援助がドンドン来たんですね。政府からくるものはいいんですけど、NGOだからね。インドネシアはイスラム教だからね、(キリスト教団体からの支援は)絶対嫌なんですね。スリランカにも援助が入りましたけどね。スリランカは仏教徒だから、「はい、どうぞ」と言うんですね。それでしっかり整理整頓して、「こうしてください、ああしてください」と言うんですね。嫌だったら、それはもう受け入れない。それで西洋のほうがカンカンに怒ってね、新聞に書く。「われわれが、援助するとき宗教をして何が悪いんですか! 人々に洗礼して何が悪いんですか」と。
人が、家族が死んで悩んでいるときに洗礼するって、それってボランティアですかね。しかし、それに怒らないのが仏教の立場なんです。どんな国よりも早く復興して、家がつぶれた人々に家を新しく作って、町まで作って終わっちゃったんです。
やっぱり、宗教のグループがボランティアをすると、自分の宗教のことをえらいでしょうと言いたくなっちゃうんですね。そこでボランティアにも糸がついているんですね。宗教だけじゃなく普通の世界でもそうでしょうし、日本の会社がどこかで派手にパーティーをやったりするでしょう。あれも全部糸がついていますね。これってどんな人間でもやっていることです。
だから、世界っていうのはそんなに美しくはないんです。気を付けてほしいのは、「わたしは違いますよ」というのだけはやめてください。ありえないんです。人に誕生日カードを送ったら、「これは何の糸もついていないんだよ」というのはありえないんです。
(寂しい(5)奴隷にしたい に続きます)
関西定例冥想会 2010.12.12
http://www.voiceblog.jp/sandarepo/1294974.html からメモしました。
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