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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

寂しい(3)誰かに依存したい

説法めも

寂しい(2)エゴイストで寂しがり屋より続きます)

 

人間とは、生命とは何かと学ばなくてはいけないんです。

サルの群れでも、ボスがオスたちと喧嘩するでしょう。サルは一人では生活できません。群れでいなくてはいけない。なのに、一匹一匹エゴイストなんですね。だからサルの群れっていうのはかなりトラブルがある。平和、穏やかではありません。

 

ボス猿がえらそうにいるんだけど、あれは体力があるときだけなんです。オス猿が、ちゃんと挨拶して横切りますよ、ボスの前を。毛づくろいもするし、いろいろ機嫌をとる。なんでそこまで機嫌をとるのかというと、エゴの問題なんです。ちょっと失敗したらやられちゃうんです。

 

そこまで機嫌を取っていたオス猿たちが、自分たちが成長して思春期になってくるとボスに攻撃するんです。噛みついて、倒して、追い出しちゃうんです。だから平和がないんですよ。平和がないのは二つの原因。一つはエゴがあります。もう一つは、依存して生活しなくちゃいけない。生命はそうやってできているんです。だから、生きることは苦以外なんにもないんですね。

 

観念的に「平和が欲しい」「調和が欲しい」と言っても、現実はそうならないんです。そこで、三番目の道でブッダのことばがあがってくるんです。

「問題はわかったでしょう。エゴと依存なんです」

 

だから、人間に限らずどんな生命でも、寂しいんです。寂しいという意味は、どういう意味ですかね? 誰かに依存したい、仲良くしたいという感情・煩悩なんですね。

赤ちゃんも寂しいんです。だから、キャーッと泣くんです。泣いて、誰かの興味を引く。それで問題解決するわけじゃないんですよ。赤ちゃんの世話をする人も疲れます。赤ちゃんは何もしゃべれないんだから、自分の希望通りにはいかないんですね。それでまた機嫌が悪くなっちゃうんです。生まれた瞬間からも、この寂しいという問題があるんです。

 

何かに頼りたいんです。何かに依存したいんです。

頼りたい、依存したいならば、いい加減自我を捨てるしかないでしょう。これができない。自我があるんだから頼りたくなる。自分のために。だから依存の場合は、ある一人の個人が周りを自分のために使いたくなっちゃうんですね。しかし、周りもエゴイストたちだから、誰かの家来にはなりたくないんです。お互いに、「お前、わたしの家来になれ」「いえ、あなたが私の家来になれ」という社会になるんです。

そこでまた、争いが成り立っちゃうんです。

 

わたしたちはご褒美を上げるわ、優しい言葉をかけるわ、おだてたりするわ、いろんなことをして奴隷化するんです。会社は社員を奴隷にするのは、給料を上げたり、ボーナスを上げたり、ときどき社員旅行をしたり、そういうエサをまいて奴隷にするんです。お母さんもいっぱいエサをまいて、旦那さんと子供たちを奴隷にするんです。

 

だから、本当はすごくずるがしこく腹黒いことを生命ならやっています。だからいつでも、英語で、string attached と言う言葉がありまして、何か人にあげるんだけど、糸がついているんですね。釣り針と同じなんですね。釣り針においしいエサがあるんだけど、糸がつながっていますね。エサを食っちゃったら、糸がつながっていて、もうダメです。

 (寂しい(4)優しさに付いている糸に続きます)  

 

関西定例冥想会 2010.12.12

http://www.voiceblog.jp/sandarepo/1294974.html からメモしました。

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