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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

冥想でどのくらい智慧があらわれたのか、自分でわかりますか?

質問

「ヴィパッサナー冥想の本を読みまして、ちょっとやり始めたんですけれど、その本の中で、自分がどういう段階にいるのかとあまり分析したり評価したりしてはいけないと書かれていました。自分が、冥想をやっていてどのくらい智慧があらわれたのかというのは、わかるものですか?」

 

回答(スマナサーラ長老)

自分がどこまで成長しているのかというのは、自我を忘れちゃえば、結構成長していることを発見します。

自我で、妄想で判断する限りは、大した成長はないんです。自我の錯覚をなくす道だからね。ずーっと自我の錯覚を持ち運んじゃうと、道は進まないんです。ヴィパッサナー実践をやっている人々は、それなりに毎日、穏やかで安穏に生きているはずなんです。

 

これはあまりにも自然だから、大胆な、ど派手はことは感じませんよ。

ヴィパッサナーの成長は自然なんです。ナチュラルです。だからビックリしません。皆様方はあまりにも自我があって、妄想や、迷信やらいっぱいあって、聖書に書いてあるような神の奇跡を期待しているんですね。それは、インチキ・嘘、そのものなんです。突然神が地球と空を作ったわけじゃないんです。そんなのは嘘なんです。自然とは、ビックリしないんです。本当は奇跡なんですけど。

 

ちょっと種を植えてみてください。今日は何の変化もない。次の日になると、微妙に種が膨らんでいて、でも「別に」という感じで面白くないんです。次の日もまだ膨らんだままで。また次の日は、ちょっと皮が破れたような気がするけど「別に」。その後、芽が出て大きくなって、花が咲いて、実るんだけど、毎日見ていると「別に面白くない」という態度なんです。でも、ビックリする結果が起きているでしょう。

 

今日、種を植えて、ジャックの豆の木のように、明日になったら天国まで豆の木が伸びていたら、それだったらビックリしますね。でもそんなのはあり得ない。

 

宗教の冥想というのは、「こうなる、ああなる」と言っていますけど、あれは脳の幻覚を引き起こしちゃうんです。脳は幻覚を作り出す組織だからね。今も、冥想しない人々はずーっと見て聞いて、幻覚を作って生きているんです。幻覚が知識だと思っているんです。だから、幻覚を作るプロデューサーに、違う幻覚を作ってください、と言ったらやってくれますよ。それって成長じゃないんです。

 

他の冥想をやって成長しました、覚醒しましたと言う人をみると、まるっきりだらしのない人なんですね。精神的に不安定で、怒り嫉妬憎しみを抑えられないし、自我を張っていて、態度がでっかくて、なんだこれはと。「いや、わたしは覚醒しているんだぞ」とふんぞり返っても、わたしからは「幻覚や」と言えます。

 

ですから、成長っていうのは自然です。

ヴィパッサナー冥想で成長していくのは、日々、成長していくんです。あんまり気にしないんです。だってあまりにも自然だから。しかしそれが安定するんです。逆戻りはないんです。伸びた木が、また種に戻ることはないんです。

 

世間にある色々な冥想、われわれはサマタとカテゴライズしますけど、宗教の冥想ですね。それと観察冥想ですね。これは仏教の分析ですからね。ちょぴちょぴっと神秘体験が起こるかもしれませんけど、人格はそのまんま、何も変わっていないんです。不自然なことだからね。

 

だから、王様の衣装を着ることはできますけど、それは不自然でしょう? 衣装を変えればただのおじさんになっちゃうんですね。何かかぶって見せたっても、意味がないんですね。

この自我の錯覚ですね、成長しているかどうかというのは。なんか、心配するんです。それも覚えておいてください。ヴィパッサナー冥想では、自分の性格の悪いところしか見えません。悪いところばっかり見えちゃうと、成長していないという錯覚が起こるんです。

 

なぜ、ヴィパッサナー冥想で観察していくと悪いところがみえるかというと、直すべきところだから。医者が「この人かわいいねぇ、若くて」というふうには見ません。「あなたのマスカラかっこいい」とは見ません。医者は「どこが悪いんですか?」と聞くんです。

 

「その口紅は似合ってますね」とは言いません。でも言った方がいいと思いますよ、その方が儲かりますからね。本当の医者はそうじゃなくて、そういう外見は気にもしない。「どこが悪いのか? どういう具合か?」と聞いて治療してあげる。お釈迦様もご自分のことを「医者だ」と言っていますからね。ヴィパッサナー冥想というのは、人格の悪いところがずっと見えて、見えてくるんです。どこまでも見えるんです。

 

しかし、ある日、悪いところが何も見つからないことがわかりますよ。その代わりに、すべてのものは瞬間瞬間、変わっていくんだと、それしか見えなくなっちゃうんです。自分も他も、全部一緒になっちゃって、すべて生滅変化しているんだと、そこを観察するところまで成長したら、もう個人的な問題は消えているんです。人格ができているんです。それで、元に戻りません。

 

そういうわけで、成長しているかどうかを心配しないでください。あなたは着々とヴィパッサナー実践をやってください。いくらやっても人格の悪いところばっかし見えちゃって、やる気を失うこともあります。でも、負けず嫌いで頑張ってください。それだけ。

 

それで、自分の悪いところがみえても、微妙に、悪いところが変わっていくんです。「前はこういうことを気になっていたんだけど、今は別な問題だ」と。ということは、前の問題は消えているんです。

 

それから、いくら自分の欠点をみても、いくつかの欠点はなかなか直らなくて、追っかけてくる。そういうのは、根本煩悩で、そういうのも、やがてなくなるんです。根本煩悩は、貪瞋痴に分けているんだから、欲・怒り・無知ですね。欲があるんだけど、欲張ることはもう消えているはずなんです。欲があるんだけど、だからと言って悪いことをすることはもう、とっくにやめているんです。欲はあるんだけど、欲で悩んでどうしよう、ということは消えているんです。問題は消えているんです。でもまだ欲がある。根本のところ。

 

怒りはあるんだけど、怒ったり怒鳴ったりけんかしたり、ということはもう消えています。落ち込んだりすることはもう消えています。

人に失礼な態度をとられても、「まあ、別に」という感じでいられる。でも怒りがある。それは根本煩悩。怒りがあるんだけど、発病しない。欲があるんだけど、発病しない。無知があるんだけど、発病しない。

 

根本煩悩だけは残して、それで冥想すると、そこも消えていく。そこで自分が何を観察するのかというと、一切の現象は無常であり、苦であり、無我である、ということしか観察しないんです。それは本物でなければ覚りではありません。頭では、無常だと思うことはできますけど、本物じゃないんです。

 

そういうふうに頑張ったほうがいいんじゃない? と思います。

 

 

東京法話と実践会 2015.10.25

http://www.ustream.tv/recorded/76180966

(40:00ころよりメモしました)

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