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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

食べる冥想

質問

食べる冥想についてなんですが、食べる冥想は最後に、『噛む、噛む。飲み込む』で終わります。それから食べ物が胃袋に落ちるのを感じていますと、何か余韻のようなものが、いつも残ります。胃袋に残った余韻なのか、舌に残った余韻なのか、こころが少しほっとした余韻なのか、その辺はよくわかりません。その余韻についても実況中継した気持ちが起こりましたので、『飲み込みます』の後に、『感じています』と実況中継しましたが、これでいいでしょうか?」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

いいと思いますよ。

余韻を感じてるならば、「感じています、感じています」でいいと思います。噛んだり飲み込んだりするのは、派手な感覚ですから、そこは実況して修行をはじめていきます。更に能力が上がると、おなかに入ったことも感じるかも。おなかに入る余韻も感じるかも。更に進むと、胃から脳に信号がいって、脳がどんな反応をするのかと感じる可能性もある。

 

無理をしないで、かんたんに感じるられるところまで修行するんですね。余韻まで感じている方々は、それを「感じている、感じている」と実況中継するのはよろしいです。

 

胃袋に食べ物が入ると、胃袋から神経信号が脳に入って、記録するんですよ。食べたものを。脳が記録していることも感じる方々は、「感じている、感じている」と言葉としては「感じている」で十分ですけどね。

 

なぜならば、次で止めなさいとストップ信号を脳から感じますから。世間的な知識で、目で見て「このくらい食べたほうがいい」といろいろ考えて、皿に入れた分が一食分とか決めてますけど、それはあまり正しくないです。それを食べ終わったら、脳が記録終わってないのに終了しなくてはいけなくなっちゃうし、あるいは脳が、ストップ信号を出しているのに、「残してはあかん」と食べ続けてしまうこともあるし。

 

知識使っちゃうとね、一日分はこれくらい食べなくちゃいけないと決めてしまうし、いろいろですけど。できる方々は、脳の信号などを実況中継して構いません。できない方々は無理する必要はありません。

 

関西月例冥想会 2015.11.08

https://www.youtube.com/watch?v=qz90gPfk3hE

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