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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

アイツだけは許せない、と思うとき

欲・怒り 説法めも

質問

「冥想実践会でお世話になってから、一か月くらい冥想を実践し始めました。実際、冥想を実践してみて、本当に目の前の一瞬がすべてなんだということと、思考を停止することが最善の道なんだと感じたりしました。

驚くような変化もあったんですが、どうしてもやっぱり、『あいつとあいつは許せない』とか、「あのことは納得いかない」とか、冥想実践しているのに、そういうことが残ってきます。そういうのが気になります。なかなか、やっちゃいけないってわかっているのに、それについて思考してしまうんです」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

答えは簡単です。そのうち直ります、ということです。

 

思考停止というのは、言葉は簡単に感じますけど、そういう簡単なことではないんです。今の脳の機能では不可能なんです。全く別次元の、超越した次元のことです。われわれは今の脳で、一生懸命修行して、冥想して成長させるんです。脳は早く成長します。肉体よりも。

 

それで、思考停止世界で、すべての問題も解決しているし、苦しみも脱出しているし、もう覚っているんですね。そういうプログラムですが、それほど簡単ではないと思った方がいいんじゃないかなと思いますね。

 

頑張ってみると結果がある、ということがわかります。前よりは人生がなんとなくうまくいっていると分かります。それは脳が成長しているという証拠なんです。ずいぶん早く成長するんです。でも、おっしゃった通り、なにかまだ引っかかるということでしょう。それはまだまだ、修行しなくちゃいけないというだけの話なんです。どうったことはないんです。

 

今まで、そういうことで自分が激しくやられちゃっていたでしょう。それを今は、「これはおかしいんじゃないか」と分かってきたから、ずいぶんましな方でしょう。だから、今のちょっとした引っ掛かりもそのうち消えてしまいます。

だからそんなに、大したことはないと思いますよ。

 

しかし、今の「これはちょっとどうかな」という不満な気持ちは、持っていてください。「まだ覚っていないからしょうがないでしょう」と開き直ったらね、直らないからね。

自分はまだまだ未熟なところがあるんだ、と謙虚に思ったほうが成長します。その気持ちだけ忘れないでください。

 

そこで、論理的な答えを出します。

たとえば、「あの人がやった、あのことはちょっと許せません」と思うことが、客観的に第三者が見てもそう思うことがあるかもしれません。あるいは、わたしだけが「これは悪い」と思っても、世界が何とも思わないこともいくらでもありますよ。

 

派手な例を出すと、ある人がある人を殺す。それを見た「わたし」が、「これは絶対許せない」と思ったとします。世の中も殺人は認めない。そういうケースの場合でも、「わたしが腹が立って仕方がない状態でいる」ということは、自分の自我なんです。自分の、自我という錯覚で、自分が判断したことはその通りになってほしいと思っているんです。だから自我で、「なんであんた、その人を殺したのか!」と思っているところで腹が立ったりする。

 

自我がなくなると、生命は生命を殺すべきではありません、と分かりますよ。それでも生命は、無知なせいで、怒り・嫉妬・憎しみで、我を忘れて、善悪の判断を忘れて、そういう行動をするものだ、と。悪い行動をした人はその結果を受けますよ。悲しい世界だ、というふうな状態で、自我の判断がない状態になって来るんです。

 

「これは絶対許せない」と思っているうちは、「あ、自我があるんだ」ということに気づいた方がいいと思います。

 

 

<東京法話と実践会 2015.11.29

http://www.ustream.tv/recorded/78705448(期間限定公開動画)

より書きました。>

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