(智慧とは調査結果-ブッダが説く諦めとは何か(4) から続きます)
生きていることは何なのかと、調べてみると、いろいろ発見がありますね。どんな生命でも、何か食っているんだと。何か食べなくちゃ、生命は成り立たない。これも一つの発見ですよ。生命っていうのは自分の子孫に無茶苦茶、依存するんだと。よくよく見ると、子孫を作るために生きている動物もいますね。子育てをすると死んでしまったり。子供を作るために生まれたような感じでしょう。
人間にしても、ほぼ同じことなんですね。子育てにすべてかけちゃいます。子育てが終わったらやることがなくて、落ち込んじゃって、スピーディに衰えて死んでしまいます。タコとおんなじなんですよ。タコは卵を守っているときは、三か月間くらい何も食べない。体で卵をずーっと守っているんですね。卵にきれいな水を送ったりもしている。相当な努力でしょう。その間何も食べないんですよ。食べるためには動かなくてはでしょう。親タコが動いてしまったら、卵は全部食べられちゃいます。
それで、時間がたつとタコもドンドン体力が衰えて、そのスキを狙って魚たちが卵を食べていく。やがて卵が孵化していくと、親タコの力はもう限界まで来ているんですね。そのまま、ゴロッと落ちて行くんです。海底へ向かって。落ちて行く途中で、ほかの魚たちが来て、親タコを食べるんです。周りに集まって、タコの体を引っ張って食いちぎって行く。タコは死んでしまいます。
タコが何のために生きているのかと言えば、子供を育てて死ぬためなんです。調べればよくあることでしょう。わが子がかわいい、かわいい、と言っている馬鹿には、それがわからないんですね。わが子のためなら死んでもいいという馬鹿には、それがわからないんですね。だから世界を調べてみるんです。調べてみると、みんな子供を育てて死ぬだけだと。
次に、それがすごいことかと調べてみると、自分が命を懸けて育てた子どもは、また子供を産んで育てて死ぬんです。それで、何かわからない? 生きるって何なのかと言うと。なんか微妙なことを感じるでしょう? それが智慧なんです。「なんてありがたいんでしょうか」と言うのではないんです。「こんな尊い命を、神様に頂いた命を、お粗末にしてはいけない」と言うけれど、お粗末にしているでしょう。ただ子育てしているだけでしょう、やっていることは。
そう言う神秘的な、非科学的な感情ではなく、言葉で言い表しにくいことを、なにか感じるでしょう? 魚たちを見て。
クモもいろんな種類がいるんですよ。ある種類のクモは人間と一緒に生活するんですね。そのクモは、卵を産むと、カッコいいかごを自分の出す糸で作って、胸につけておくんですね。それで守ります。おなかにゆりかごを作ってくっつくて、外せないんです。
小さなクモたちが孵化して出てくるでしょう。でてきたら、そのまま親を食べるんです。外へ出て自分で巣を作って獲物を取る力がないでしょう。まだちっちゃいんだからね。それで親を食っちゃうんです。それで親クモの人生は終わり。クモの仕事は、子供を作って、その子供に食べられて死ぬことです。ではその目的は、子供を作って死ぬことだと。この目的は? それだけでしょう。
すべての生命がそういうことだったら、生きるって何かねぇ?
人間には答えが出て来ないんだから、お釈迦様が「むなしい」と。わたしが「むなしい」と言う言葉を使うと皆さんに嫌われますから、「生きることは目的がないんだよ。生まれたから生きているだけだ。そんなに気にすることはないんだ」というふうに入れ替えちゃうんです。
「我はなんで生きているのか? 我はなぜ存在するのか?」と言っても、答えは「生まれたからだ」。「まだ死んでないからだ、そのうち死にますから」。とそれくらい単純なことが、答えとして出てくるんですよ。それを調べないで答えを聞いちゃうと、わたしが馬鹿に見えちゃうでしょう? よく調べてみると、これが智慧の答えなんです。
その答えに納得がいくと、生きることはものすごく楽になるんです。悩みもなく、苦しみもなく、ストレスもなく、なんとなく美しく明るく、生きていられるんですよ。だから生きるとは何かと調べたほうがよろしいんですよ。
それには宗教は邪魔をするんですね。神話物語を持って来たり。だから宗教はそれはそれでおいておいて、生き方は別に学んだ方がよろしいんです。
(成長と諦め-ブッダが説く諦めとは何か(6)に続きます)
関西定例冥想会 2012.07.15 ブッダが説く諦めとは何か
http://www.voiceblog.jp/najiorepo/1766862.html より聞いて書きました。
その他の講演会めも:講演会など カテゴリーの記事一覧 - 瞑想してみる