< スマナサーラ長老-新年祝福法要@マーヤーデーヴィー精舎 2016.01.17
https://www.youtube.com/watch?v=lRWqbF9hFBs より書きました。>
祝福というものは色々ありますけどね、仏道そのものが幸福の道ですから、あえて祝福はいらないと思いますけど。昔はなかったんです、お釈迦様の時代は。仏法僧に帰依した時点で、誰よりも幸福に生きていたんです。みんながうらやましがったんですね。
お釈迦様の時代、他宗教の方々から「仏教徒ってありがたいなぁ」と、かなり褒められていました。
性格は良いし、行儀作法は素晴らしいし、顔色は輝いているし、と。何があっても落ち込まないし、いつでも微笑んでいる、と。
それは出家だけではなかったんです。在家の人々の場合も、仏教徒だったらみんなすごく丁寧に対応するんです。
そういうことで、理性があり品格の高い、高度な社会となっていたんです。
今は仏教徒であることを隠すんだからね。
どうなっているのかと。ということは、まあ、仏教徒じゃないでしょうね。隠して、恥ずかしがってやるということは、ブッダの道じゃないんですね。だから幸福になるわけないでしょう。
隠すものは何もないんです。
隠すべきものがないことが、お釈迦様の自慢でしたからね。だから、わたしたちにとっては堂々とブッダの道を実践しているんだ、ほかのくだらないことをやっていないんだということを言えないところに、何か問題があるんですね。そう言っている方々もいるんですけど、えらい迷惑なんですね。あれは自我を張っているんですね。
そこがポイントなんですね。
「あなたは仏教徒ですか、すごいな」と思えるようにならないんですね。逆に、「あなたはすごくしっかりしていて、何にも悩まないでいるってすごい。どうしてですか?」と聞かれる状態にいなくてはいけない。それが昔のやり方なんですよ。お釈迦様であろうが、弟子たちであろうが、なんで仏教が広まったのかというと、別に「仏教をあなた方も聞いてください」ということはなかった。
「あなた方は、なんですごいのか?」「その安らぎって何なのか?」と、
そうやってひかれていくんです。誰だってそれを求めていたんだからね。仏教を世界宗教にしたのは、インドのアショーカ王ですね。インドのほとんどを手にした、唯一の帝王という人なんですね。
(わたしが一番いやなのは - 新年法要2016(2)に続きます)
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