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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

マハーシ・サヤドー、アチャン・チャー、ゴエンカ師

 (前回 テーラワーダでは覚りの認可制度がありますか? から続きます) 

それからゴエンカさんのことなんですけど、

ミャンマーのあるお坊さんから冥想を勉強して、その方法を教えている方なんですね。

 

それはその人のやり方で、できるだけ社会的な立場で頑張ってはいるんです。かなり巨大な組織ですから。

 

スリランカというかテーラワーダを却下しているわけではないんです。

世界で一番大きな冥想道場を作った。信じられない、あの大きさは。

そこで誇らしげに言うのは、ドームの一番上に、スリランカの政府から正式にいただいた仏舎利をちゃんと安置しているんだと。

 

だから仏舎利の下で冥想するということで、テーラワーダ仏教から認められることをすごく大事に思っている組織なんです。

 

その教え方の場合は、すごく安っぽく軽く教えているんですよ。

その方法だからこそ、すごくたくさんの人が集まります。すごく真剣に教えると、人間と言うのは腰抜けですから逃げちゃうんですね。

 

彼らも四念処経を教えています。

ヴィパッサナーというのは四念処経ですよ。わたしたちの冥想法とちがっているわけではないんです。

しかしあちらは組織だから、すごく排他的でやるだけなんですね。オープンでいながらよくよく見ると排他的です。そこは気に入らないところです。

 

ゴエンカさんを神様みたいに、ブッダみたいに捉えているところは、そこはちょっとやり過ぎなんですね。

ちょっと仏教的でなくなっちゃうんですね。個人崇拝は。

崇拝するならブッダにしなくてはいけない。サーリプッタ尊者、モクレン尊者崇拝もしませんからね。お釈迦様が、この二人を頼ってくださいと言っているのにも関わらず。「あなた方の母親父親はこの二人だ」と、お釈迦様はご自身を下げているんですよ。

 

お釈迦さまが直々にそうおっしゃったんだから、

弟子たるわれわれは、サーリプッタ尊者、モクレン尊者にすがって尊敬していかなければならないのに、お釈迦様のほうに行っているんですね。だから個人崇拝と言うのはちょっと、よくないんですね。

 

冥想法の場合は、そんなに差がありません。

彼らはただ歩く冥想をしないだけでね。四念処経に書いてあるのに。四念処経を元にして、カットして、ボディスキャンをするんですね。ボディスキャンをすることは感覚をみることだから、それは大丈夫です。経典に合っています。でも、いつだって、歩くときでも座るときでも、そこをスキャンしなくてはいけないんですね。

そこは適当にカットしているところですね。

 

わたしたちが教えるヴィパッサナー冥想というのは、誰の冥想でもなくて、お釈迦様がおっしゃったものですから、人間が作っている組織と似たり似ていなかったりすることはあります。

 

わたしは個人的には、ブッダの教えからはいかなる場合も脱線しませんと言いう立場でやっています。

だから現代ではやっている冥想組織と違うところはあります。はっきりと、なんで違うのかと聞かれたら、説明することはできます。

 

わたしがそう思うからではなくて、経典にそうあるから、と言う態度ですね、わたしは。

皆様方は、わたしが、すごく現代的に新しいことを言っているように思うかもしれませんが、科学は使うわ、パーリ語の言葉は使っていないわとか。しかし、すべて経典にあるんです。それを現代人の言語で言っているだけなんです。現代人にわかる言語でしゃべっているんです。

 

Language という言葉は二つの意味で使います。

言語という意味と、理解するというシステムという意味と。

たとえば英語を使っている二人でも、相手の言うことが全く分からない場合は、I can’t understand your language. と言えます。あなたは何を言っているのかわからないですよ、という意味です。

ということは、I can’t understand your English. ではないんです。

 

たとえばある人が、ものすごく人を非難、侮辱してしゃべる。

そこで、英語でしゃべるとしましょう。「あの人はここが悪い、あそこが悪い。このシステムはここが悪い」と。もう一人の人は、「まあ世の中はそういうものだから別に気にする必要はない」と思う。

その二人がお互いにしゃべる場合は、I can’t understand your language. と言えますね。

 

その場合はlanguage というのは「英語」ではないんですね。

そうやってこの、言語の意味は二つあります。

皆様方が今しゃべっている言語で、お釈迦さまがしゃべった言語を翻訳しているだけ。

 

だから脳の話やら、神経回路の話やら言っていますが、経典にそんな話はないんです。

脳みそは脳みそだと、肉体は相手にしていない。しかし、現代人が物質に引っかかっているんだからね、石に噛みつく人間だからね、科学者は。そこから、こころに道案内する。その差があるんですね。わたし個人の話の場合は。

 

しかし、ゴエンカさんがおっしゃっているのも、全くのヴィパッサナー冥想で、方法が全く違うふうに見えても基本的には同じことだと思います。

微妙なところは、歩く冥想をしないとそんな程度のことなんですね。そんなにどうったことはないんです。

 

マハーシ・サヤドーは現代人にわかる言語でしゃべりました。

それから、マハーシ・サヤドーで止まらずに、しっかりと経典に沿って進む。マハーシ・サヤドーで止まってしまうとちょっと良くない。

 

マハーシ・サヤドーはすごく立派な方で問題がないんだけど、アチャン・チャーもすごく立派な方で問題がないんだけど、個人崇拝になっちゃうと、覚りの世界ではなくなっちゃうんですね。

アチャン・チャーは阿羅漢であったとほとんどみんなが信じているし、そこは全然問題ないと思いますよ。

そう信じることは。

 

しかし、アチャン・チャーの弟子たちは一人も成長していない。

理由は、ブッダを措いておいて、アチャン・チャー教を作っているんだから。

別な宗教を作ると、覚ることはできなくなっちゃう。

 

素晴らしい、すごい組織です。世界的にアチャン・チャーのお寺がいっぱいあります。

しかしブッダから抜けてはいけません。

 

アチャン・チャーが学者の能力もあったんだけど、しゃべる場合は一般人の言語でしゃべったんですね。

そこを勘違しているんですね。好き勝手にしゃべってもいいやと。アチャン・チャーは仏教の真理を体験したからできたことで。

 

そういう微妙なトラブルも世の中で起こる。

それは避けられないことです。別に大げさなことではないんですね。

 

いつだってブッダのほうに行った方が、お釈迦様のほうに行った方がいいんじゃないかなあと。

おおもとのところに。弟子を開祖様にしたら困りますよ。やがて、ブッダを弟子にするとかね。そこまで行くんだから。頭がいかれる場合はね。

 

テーラワーダの場合はそこまでいっていいないんですよ。

でも、アチャン・チャーを崇拝するか、ゴエンカを崇拝するか、マハーシ・サヤドーを崇拝するかと言うところで、ちょっとダメージを受けているんです。

 

崇拝することは必要じゃない。

師匠ですからね、お釈迦様はね。

元の師匠ですからね。

そこをいつでも大事にしておくと道を脱線することはないし、精神的に向上することは可能です。

抜けちゃうともうアウト、終わり。

覚ることは閉ざされます。

(おわり)

最初から読む:

テーラワーダでは覚りの認可制度がありますか? - 瞑想してみる

f:id:thierrybuddhist:20160326132009j:plain 

<東京法話と実践会 2016.03.13

http://www.ustream.tv/recorded/84412689

01:23:00~最後より書きました。>

 

目次7‐経典 /仏教と日本、仏教哲学

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