たまに、悲しいんだけど、子供たちをみていると、ちょっとデブというか太り過ぎの子がいるんですね。
可哀想でしょう、子供のころからそんなふうに癖がついたら。
「お前食いすぎでしょう、そんなに食うなよ」と言いたくなったんだけど、関係ないから言えないしね。
よく見たらお母さんもなんです。全く同じ体格で、体に悪いとんでもない毒ばっかり食って。
(反対のパターンもあった)
ある日、羽田空港で、時間がなくて外で買ったものをベンチで食べていた。
そこに男の子三人と家族がいて、中学生くらいだと思います。それが三人ともすごくカッコいいんですね。スマート。ビックリ。
いくらなんでも、子供にはそういうふうになれないんだと、体は。子供だから成長するでしょう。しかし、実験室で研究しながら作ったような体でした。
親にしっかり管理されているでしょう、と思ったんですけどね。
その子たちは、自由に自分の好きなものを買った状態でも、彼らは毒は選ばないんですね。
体に必要なものだけ選んで、それでも食べるというより、遊んだり、お母さんをバカにしたり、どこかへ走って行ったり、もう時間ないんだから早く食べなさいと言われても、食べたり食べなかったり。それでも、その子たちは出来がいいなあと思ったんですね。
体に入れるものはそんなに悪い物じゃないんだけど、それより、楽しみたいんですね。
食べるふりをして、ものすごく楽しみたいということがみえる。
だったらちゃんと栄養を取っている。なるほど、理想的だな、なかなかまれなことだと思いますけど。
一回だけ、そういうケースに遭遇したことがあるんですね。
われわれはちょっと逸脱しちゃってね、自然の道から。
すべて壊れてしまった。
経済も、政治も、すべて壊れているんですね。一つもうまく流れていないんですよ。
政治、経済、個人としては食べるもの。
答えはすごく簡単。
一日一食というのはすごくいいこと。燃料タンクは、一回入れたら一日大丈夫なんです。一日走れるんです。
お釈迦様はそれをみんなに証明したかったんです。
言って聞いてくれない。わからないでしょう、頭で。
だから出家は、一日一食を食べてくださいと。お釈迦様は一食です。
一食で、それだけの燃料で、一日走れる。
そうすると、燃料タンクは異常現象を起こしません。
生き物だから仕事をしなくちゃあかんでしょう。消化システムは、自然の仕事をするだけで、過労はないんですね。排泄システムもすべて。順調に仕事をするだけで、やりすぎ、過労、ということはないんですね。
だから肉体の一切の臓器を、自然に順調に動かしてほしければ一食なんです。
お腹がすく? 空きますよ。
お腹が空いたっても、臓器には栄養がまだあるんです。
(続きます
(スマナサーラ長老法話 関西月例冥想会 2016.3.27)