ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

信(3)- 凶暴なシロクマにもある信

(前回

信(2)- 信がなければインスタント食品さえ食べられない

 

だからそれが薄くなると結構困るんです。

わたしは日本ではなんのことなく、店で野菜など手で取って買う。でも自分の国に行ったら、そうじゃない。すごく店を選ぶんです。店に入っても品物をすごく選ぶんですね。なぜかというと、その信というところが、ちょっと薄いというかね。

 

そういうことで、インドに行って買い物をすると、まあだいたい八割、騙されるということはあるでしょう。だから激しく話し合いをしなくちゃいけないんです。

激しく話し合いをして、それでは、うるさいんだから買いますという結果になる。信頼はないんです、買った品物に。

 

で、ペットボトルを開けて水を飲むときでも、信頼、信が働いています。

ペットボトルには水道の水を入れているかわからないしね。六甲山の水とかね、富士山の水とかね、ボトルにシールを貼ってできますよ。しかし、われわれはその会社を信じて水を買っています。

 

本を買うときどうする? 

著者が知っている本なら買いますね。知らない著者の本だったら、タイトルで惹かれたら、著者の経歴を見る。わたしが昔、学術書を買うときは、イントロダクションを見て、どんな教授がこの本を紹介しているのかを見て、二、三ページ読んで、それからざっくり読んでみて、これならいいと。

 

人間には自分の名前だけでいいのに、どうして肩書を書いているんですかね。

わたしの名刺みたいに、「スマナサーラ」で終わりではないんですね。わたしの名刺には僧侶であることさえも書いていないんです。だから名刺を落としても大丈夫です。肩書が何もないんだから。

 

そこでなぜ肩書をいっぱい書くのかと言うと、「信」、わたしのことを信じなさい、なんです。

 

そこでよく理解しましょう。

信と言う心理学的なある特色が、どんな人のこころにもある。こころにあるんだから、動物にもあるんです。動物園の凶暴な動物は、飼育係とじゃれるでしょう。すごい凶暴なのに。飼育係を信じているんです。

 

シロクマの赤ちゃんが動物園で生まれて、動物園だから母親が育児放棄するんですね。そこで飼育係がすごく大事に面倒をみて、赤ちゃんは飼育係を信じて大きくなる。すると凶暴でもなんでもない。飼育係を見ただけで飛んできたてじゃれたりして。

 

そこに何があるんですかね?

凶暴な動物にも、信があるんですね。

信じているんです。

 

信と言う心理学的な要素だから、すべての生命にあるんです。

その働き方によって、われわれの人生が決まるでしょう。

 

騙されたという言葉は何であるんですかね? 信からでしょう。信じたけれどその通りではなかったと。それが、信じることの弱みなんですね。そう言う特色で生きているんだけど、問題もあります。

 

だからわたしたちは、信という要素をすごく管理する必要があるんです。

 (続きます

信(4)- 信の弱み

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参考外部サイト:

巻頭法話(190) 恥と怖れ

仏教では、恥じることは欠かせない善なのです。といっても、何でもかんでも恥ずかしいと思うならば、それは精神的な病です。健全なるこころをうたっている仏教にとっては、精神病のひとつの原因を善だと言えないのです。ここで、お釈迦さまの「中道」が割り込むのです。悪を犯すたび、こころに煩悩が蓄積します。仏道を歩む人は、「悪行為を恥じる」のです。お釈迦さまが悪行為だと語っていることだけでなく、理性のある世間の人々が悪だと思っている行為も恥じる。中道的な恥がこころにあれば、その人は悪を犯さないのです。


 恥hiri(慚)と対になっている「怖れottappa(愧)」
という用語もあります。これも善です。しかし、何でも怖れるならば、何もできない人間になります。それも精神病です。中道的な怖れottappa(愧)とは、悪を犯すことを怖れることです。