(前回
わたしたちは、信がなければ俗世間でも生きていけないんです。
要するに、信じることがなければ何も始まらない。すべてはそこからスタートするんです。
どういうことかというと。
皆様方は病気になったらどうする? 題目を唱える?
病気になったら、専門医に聞いてみるんですね。それでお医者さんが、わけのわからない、名前を見てもわからない、科学分子構造を見てもさっぱりわからない何かをくれるでしょう。そこで、あの針を刺して体の中に液体を入れようとしているでしょう。ヤバくない?
ヤバくないんです。わたしたちは医者を信じているんです。
医者を信じていなかったら、あれの注射できないでしょう。
それが、迷信ですかね?
変ですかね?
迷信でも変でもなく、ごく普通の理性的な行動でしょう。
われわれは知識を持っていますよ。医者っていうのは、ちゃんと医学を学んで、インターンを経て、先生たちのもとで治療して、一人前になっている人々なんですね。それを知っている。
それだけじゃなくて、彼らにはいい加減にはできないんだと。彼らには規則や法則を守って活動しなくちゃならない。
わたしたちにはその経験は何もないんです。薬の名前を聞いても、わからない。
そこで医者を信じる。その信じることが、データに基づいて、誰でも一般的に持つ「信」なんですね。
そういうわけで、信が必要なんです。
今はいろんな食品がパッケージに入って、チンして食べてくださいと。
何が入っているかわからないのに、よく食べるでしょう? あんな、どこで何を入れたかわからないものなのに、わたしたちはそれを信じている。だからそのまま、インスタント食品をパクパクと食べているんですね。
ただコンビニで、スーパーで、品物を買うときにも、われわれはある程度で信じて買っているんです。その信がなければ何もできません。
子供たちは親を信じています。
学校の先生を信じています。塾に行く場合は、塾の先生はしっかり教えてくれるでしょうと信じています。
警察はちゃんと法律を守ってくれると信じています。信がなければ何も成り立ちません。なんの契約もできないんです。
わたしが買い物をする場合はネットで買いますけど、瞬時に金が行っちゃいますよ。
品物はまだ来ていない。店で金を払って品物をもらうということではないんですね。ネットに写真があれば、写真で判断しなくちゃいけない。店に行ったら現物を見て買えますし、ときどきいじって動かしてみることもできるしね。店の人々は色々使い方を説明する。そこで一つ買いますと。
ネットで買い物する場合は、業者は黙って何もしないことははい。ちゃんと品物を送ってくれるんです。だまされたことは未だないんですね。
業者に信頼がなければ成り立たないんですね。
わたしたちは、何を買おうとも、信仰、信じるということがそちらに入っている。
だから生きる為に信という、信仰でもないんだけど、信じるということがずーっと働いています。赤ちゃんのときから。
赤ちゃんは「この人が母親だ」ということは知らないんですよ。しかし赤ちゃんなりにデータを処理して、「この人を信じます」ということになっていく。だから誰だって生まれてくる人間というのは、母親を信じることからスタートするんです。
一切の知識、能力の、すべてのスタート地点は、母親を信じることから始まるんです。そこが土台ですね。
それが壊れちゃうと、人間は成り立たなくなっちゃうんです。だいたい壊れないんですよ。どんな赤ちゃんでも母親を信じますからね。
ですから、世の中で言っている信やら信仰とかそんなもんじゃないんです、仏教で言う「信」は。
命に欠かせない、精神的なある特色なんですね。
(続きます
参考外部サイト:
信などについて解説されている