前回
それでお釈迦様は、こういう項目を調べてくださいと、項目を九つ教えているんです。
Iti pi so bhagavā (イティ ピ ソー バガワー)というのはそういう意味。
- arahaṃ(阿羅漢)一切煩悩の滅尽者
- sammā sambuddho (正自覚者)最初に覚って、他の人にやり方を教えられる
- Vijjā-caraṇa-sampanno (明行具足者)八種の智慧と十五種の行「性格に関する徳」が備わっている
- Sugato(善逝)正しく涅槃に達し正しく善い言葉を語る
- Lokavidū(世間解)宇宙、衆生、諸行という三世界を知り尽くしている
- Anuttaro purisa damma sārathi(無上の調御丈夫)人々を指導できるこの上ない能力者
- Satthā deva manussānaṃ(天人師)人間や神々などいっさい衆生の師
- Buddho(覚者)ブッダ
- Bhagavā (世尊)すべての福徳を備えた方
お釈迦様にそう言う資格があります、調べなさい、と。調べてみるとこの上ない人格者だとわかるんです。
涅槃解脱のことはここで語らない。ただ、調べられる歴史的な人物を調べさない、ということ。
お釈迦様の当時は本当にいたんですよ、一人の若者が超エリートの天才で、三か月間お釈迦様のことを調べました。
三か月間、二十四時間一緒にいた。お釈迦様がご飯を食べるときでも、じーっと見ている。説法するときでもじーっと見て聞いている。衣を着たりするときでも全部見ている。
われわれだったら「うるさい、出ていけ」と追い出しますけど、お釈迦様は何のことなくいた。
この若者は人相を信じていました。お釈迦様は三十二の人相がありました。普通の人間にないもの。それも調べた。三十二の中で二つは一般的に見えません。それもお釈迦様は見せました。
それで若者は師匠に報告しました。
ひとこと、「ブッダにお会いしてもいいですよ」、それだけです。「ブッダを信仰しなさい」ではないんです。師匠は師匠で、「なんでそういうんですか?」と聞く。若者は三十二相などを説明する。
「お釈迦様がご飯を食べる場合は、指の第二関節から下しか汚れません。鉢を洗う場合は、鉢をきれいに洗うと同時に手も洗っている。その水を地面に捨てるとき、一滴も飛び散らさない」
三か月も調べている間、ずっと、お釈迦様は水を捨てるときは、草が生えていない場所にそのように水を捨てる。
そこで若者は推測するんです。
相当な人格者でなければこれは無理だと。そこで師匠が会っても問題ないと。
師匠のほうがお釈迦様より年上で、有名だったので、どうして師匠が出かけて行ってブッダに会わなくてはいけないんだという話が出ていた。この師匠のバラモン人は八十歳でしたけど、本当はブッダに会いたいんです。弟子たちが、ものすごいバラモンたちが反対するんだから、自分の第一弟子で天才の弟子に調べてくれと頼んだんです。
その弟子が、「お会いしたほうがいいと思います」と。
これは中部経典の中身を説明しました。
宗教であれば疑うことは罪なんですね。仏教は逆です。
妄信するな、鵜呑みにするな、調べなさいと。調べなさいと解放していますよ、すべて。当時から今まで、われわれはブッダの教えを一つも隠していません。わたしは説明できるところを説明するんですけど、わたしに説明できないところもありますけど、隠してはいません。経典はオープンです。
調べても覚りはわかりませんよ。確実性の値が上がるんです。
(続きます
信(13)- 見たものは見ただけで、感じたものは感じただけで(バーヒヤが受けた“瞬間説法”))
中部92 セーラ教
関連外部サイト:
仏教講義 25.自ら試し、確かめる (7)悟りを開いた人たち(5)
バラモンの長老・セーラ
ある日、セーラは「悟りを開いた人がいる」ということを聞き、その人にぜひともお会いしたいと思いました。しかし立場上、気軽に会うことはできないのです。セーラはバラモン人すべての中で最高の長老ですから、バラモン教の長老が仏教のお釈迦さまに会うというのは少々まずい。そこでまず弟子に、お釈迦さまがほんとうに悟っているのかどうか調べさせました。……