前回
菩薩誕生=成道=ゴール - 関西ウェーサーカ祭2016(7)
それから四十年間説法しましたが、人間にはできないですよ、あれほど身体が壊れているのに。
何も贅沢はなく、お釈迦様は草履も履かなかったし、日傘もささなかった。
はじめから質素な生活でした。
祇園精舎とかも作ってもらいましたが、お釈迦様はそちらにいるときは滞在するだけで、出かけちゃうんですね。祇園精舎というのは巨大な敷地で、いまだにお釈迦様の部屋の跡もありますよ。説法した講堂もあります。
でもお釈迦様は、木の下で寝て、川の水を濾して飲んで、托鉢でご飯をもらったら食べて、もらわなかったらそのままで、四十五年間には病気にもなるし、最後に赤痢という病気になりました。
この赤痢はものすごくきついんですよ。ただ食あたりになっただけでも体が倒れちゃうでしょう。点滴で液体を上げなきゃ大変なことになるんですが、点滴もなかったでしょう。
お釈迦様は三回も病気になりましたが、二回は自分の精神力で抑えました。もう一回は、いいや、病気になります、ということで病気になっちゃったんだけど、偉大なる方だから一般の方に顔を見せなかったんですね。全く一人で。「誰も来るなよ」と。
そのとき帝釈天が、お釈迦様が一人になってしまって人間に顔を見せないから、よくわかって、「わたしがお世話しますから」と申し出た。
お釈迦様は、
「神々というのは、人間の身体から出る悪臭は、千キロ遠くからも嫌がるんだ、近寄らないんだ」と。
わたしたちにも、そういう存在はいるでしょう。
臭くて近寄りたくないけれど、その生命にとっては自分自身は臭くないでしょう。そういう、なにか昆虫がいますね、ひどいにおいがする昆虫が。われわれ人間は神々にとってそういうふうに感じたそうです。
「その上、わたしは今、人間も近寄りたくない状態でいるんだ」と。下痢で。
「だから帰ってください。無理をするな」
帝釈天は、
「お釈迦様のことは、わたしたちにとってはそういうことではありません。お世話します」と言って、オマルを頭の上に乗せて持って行って、洗って戻すという。
帝釈天は人間に姿を変えていたでしょうね。そういうふうにお釈迦様のお世話をしたんです。
(続きます
ブッダの教え以外で解脱した人はいません - 関西ウェーサーカ祭2016(9))
スマナサーラ長老・ウェーサーカ祭 午後法話 mayadevi 2016.4.29
https://www.youtube.com/watch?v=vYomM7Q2ROY&feature=youtu.be(期間限定公開動画)より書きました。
関連外部サイト:
帝釈天は神々の王だと言われています。その問いが帝釈天に出されたのです。ここまで十二年間かかったそうです。帝釈天は正直者です。「私は答えを知りません」と明言したのです。「このような問題は、正覚者の管轄です。ですから私は、お釈迦さまに訊いてみます」と言って、帝釈天はお釈迦さまを尋ねるのです。