ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

正しい意欲・やる気とは(後編)

前回 

正しい意欲・やる気とは(前編)

 

仏教心理学的に物事をわかったほうが、もっとやりやすいと思いますよ。

欲じゃなくて、本当は楽しみですよ、脳やこころが期待しているのは。

欲を期待していないんです。 

怒りを期待していないんです。

 

人間の脳もこころも、期待しているのは「楽しみ」なんです。

充実感です、正しく言えば。やったぞ、うまくいったぞ、という充実感が欲しいんですね。だから怒りでやっちゃうんです。怒りで、人を怒って怒鳴って、「やったよ」という気分になるんです。怒りの結果に「やったぞ」という気分があるんだから、これがかなりややこしくなっていくんですね。

 

欲の場合もね、欲で頑張ってうまくいったら、「うまくいったぞ」とそこで喜びを感じるんですね。欲は関係ないんです、本当は。

 

そこはみんな正しくフィルタリングしないんですね。

だから人を殺しても喜びを、充実感を感じるんだから。なんだこれはと。

 

だから、本当に必要なのは、充実感・喜び。それは怒りや欲と関係ないんです。

怒りと欲がなくても充実感と喜びは感じられる。その方がいくらでも感じられる。純粋に。副作用がないんです。

 

脳が喜びを感じるとさらに頑張る。

さらに喜びを感じるとさらに頑張る。いくらでも成長していく。充実感を感じると、やる気が倍になっているんです。

 

欲で頑張って充実感を感じちゃうと、欲の副作用が入ってくるんだからね。

それでやる気がなくなっちゃう。

 

たとえば怒りで人を殺したとしましょう。殺した瞬間、すごい充実感なんです。やったよと。あいつに思い知らせてやったと。わたしに対して余計な態度を取ったんだからと。

 

しかしそれからどうですか? やる気がある?

それで怒りの結果が出てくるんだから。自己破壊になる。

それからやる気の一かけらもない人間で、廃人のように生きていかなくちゃいけなくなっちゃうんです。

 

感情でやる気を起こしてはいけないというのは、そういうわけなんですね。

 

感情でもやる気を引き起こせますが、それからその副作用で、自己破壊してしまって、やる気が出て来ないことになるんですね。

 

会社であろうと学校であろうと、この喜びをね、できるだけ教えてあげて、充実感というね、そういうことを教えてあげる。

 

小さな子供たちに問題がないのはそういうわけなんです。

子供がやることは大したことないんだけど、「よくできましたね。上手ですね」と、そこで充実感を与える。それで子供はさらに頑張ってやるぞと思っちゃうんですね。子供にしても、欲を引き起こすようなことを言っちゃうとダメになっちゃうんです。

 

子供の場合はだいたい、楽しみと、充実感をね、与えてあげるんですね。

かけっこでビリになっても、「それでも頑張って走ったねぇ! よくできました」と褒めてあげる。子供は、負けたことは知っていますけど、頑張ったことに褒めてもらっているんだから、そこで充実感を感じている。

 

そういうことで、充実感で喜びを感じられるようにやる気を引き起こすんですね。

(おわり)

 

法話・スマナサーラ長老 関西月例冥想会 2014.06.01

https://www.youtube.com/watch?v=5pughli5HCQ より聞いて書きました。

I Knew You Could!: A Book for All the Stops in Your Life (The Little Engine That Could)

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