質問
「慈悲の冥想をしていて泣いてしまうのですが……」
回答(スマナサーラ長老)
慈悲の冥想をしているときに実況中継ができないのは当たり前のことで、二つの仕事を同時にできないのと同じです。
そのときの状況をチェックして、慈悲の冥想をするか実況中継をするか、そのときどきに決めます。
泣いたりするというのは、よくわかりませんだけど。
泣くほどのことはありませんけど、まだまだ脳の配線ができていないということだと思いますね。
頭の中にあるデータをどこに入れればいいかと配線ができていない場合は、悲しみとか怒りの配線を使っちゃうんです。
そのうちなくなると思います。脳の中の配線ができたらね。
人間が悲しいときに泣く。楽しいときは笑う、と配線ができているんですね。
だからだいたい小さいときから、それができているんです。
悲しいとき、怒ったときに泣く配線がかなり頑丈なんです。
大人になっても同じことです。大人も、怒りやすい、笑いづらい、という性格が。
泣く時間と笑う時間を比較してみると、泣く時間のほうが多いんですね。笑う時間は少ない。
赤ちゃんは、泣く、それからちょこちょこっと笑って、寝る。
だから勘違いするんですね。たまたま泣くんだと。起きている間チェックしてみると、結構泣く時間が多いんです。
お母さんにしてみれば、子供といる時間は楽しいんだからね。それも子供が笑っている時間にしてしまいますからね。だから笑っている時間が長く感じているんです。実際はそうじゃないんですね。
これは理由がありましてね。
生きているうえで嫌なものに出会うほうが多いんですね。命を守るデータっていうのは少ないんです。赤ちゃんが触ってはいけないもののほうが、たくさんあります。触ってもいいものは、ほんの一部。わずかしかないんです。だから大人が、子供が触っていいものを取って来て赤ちゃんにあげるんです。
赤ちゃんが、「触っていいもの、舐めてもいいものはこれっぽっちですか」と、他のものも触ろうとする。これはダメですね。赤ちゃんの立場からすると、手にとってもいいものは一つ二つしかない。取ってはいけないものはいくらでもある。それが現実です。
そうすると脳の中で、怒りをつかさどる配線が強くなって、「楽しい!」という配線が弱くなるんです。
だって楽しい品物が少ないんだから。
これが変わらないんですね、死ぬまで。
死ぬまで変わらないんです。
やったらマズいことは大量にある。やったら危険なことは大量にある。これはやってもいい、というものはほんのわずかしかない。
そういうことで、悲しみを感じる配線が頑丈にできていて、楽しみを感じる配線が弱い。
そこでたまたま、われわれが、すごく楽しいことでいっぱいになってしまう。それは楽しみを感じる配線で外に出さなくちゃあかんです。
しかし、電気容量がたくさんありまして、薄っぺらい配線で流すと、これが壊れるんです。
だから脳が頑丈な、怒りを排出する配線に流しちゃうんです。だから、すごく楽しくなっちゃうと泣くんです。あるいは、電気がオーバーフローします。
自分でも知っていますよ、別に悲しくないんだよと。
悲しくなかったら泣くなよと言われても、止まらないでしょう、あの涙は。脳にデータが、喜びのデータがいっぱい入っちゃって、突然。処理できなくなっちゃって。
楽しい配線にも行くんだけど、ほんのわずかな電気しか処理できなくて。
怒りのほうへ全部は流せませんから、そこでオーバーフローするんです。
慈悲の冥想などなどをすると、喜びを感じる配線が育って行くんです。
配線ができたら、その問題は消えます。
(おわり)
法話・スマナサーラ長老 関西月例冥想会 2014.6.01
http://www.voiceblog.jp/najiorepo/2047354.html を聞いて書きました。
参考外部サイト:
根本仏教講義、11.幸せの分析 (4)インスタントな幸せの作り方 (No59)
……人間というのはすぐに忘れますからお釈迦様は、慈悲の瞑想を徹底的に教えておられるのです。人間が何か感情を持ちたいと思うなら、欲張ったり、怒ったり、戦おうと思ったり、競争しようと思ったり、そんな地獄の感情は捨てて、愛と慈しみの感情があればいいのではないか…。金を儲けたい、儲けたい、競争に勝ちたい、勝ちたい、という感情は暗いし、苦しみを生むばかりです。その代わりに慈しみの感情、つまりみんな元気で良かった、日本は平和で良かった、生命は皆お互いに助け合って生きていければ素晴らしい。苦しんでいる人、悩んでいる人に何かしてあげられれば、それはとても良いことではないか…そういう感情で生きていられると、人生は明るいのです。
今すぐ心の苦しみ、悩みを消すためには、慈悲の瞑想を実践するに限ります。