(前回
「文化・習慣」
文化ってすごいんですよ。時代を生き残っているんですね。
わたしたちよりは文化のほうが強いんです。わたしたちが死んじゃっても文化は残っちゃう、という。
習慣などは、その民族の仲間意識を強くするんです。
だから日本文化は日本人としてのアイデンティティを、仲間意識を強くしてくれるんですね。それで生きることが楽になるし、だから文化のほうがちょっとえらいんです。
人間は集団で生きる生命なので、文化・習慣は大事な役割を果たしています。
だから文化・習慣からは自由にならないんです。しかし、文化も習慣も社会の調和と幸福を目指して、改良しなくてはならない。
文化のほうがえらいと言っても、文化を維持するのはその国の人々でしょ?
だから迷惑なところは変えなくちゃいけない。
ただ「文化だから、文化だから」と千年もやって来ているからといって、バカなことをやる必要はない。
昔、いけにえの習慣もあったでしょう。
豊かになるために、女性を、女の子供一人をいけにえにする。昔あったんです。それを文化ですからと守る? それは二千年も続く習慣だからと? そうやって、危険なもの、よくないことはやめなくちゃいけない。
たとえば、自分の部族で一人前になるためには、隣の部族の誰かを殺して首を持ってくることなんですね。だからたくさん首を持って来たら、その社会で認められるんです。そういう習慣があっていいんですかね?
そういうことで、西洋文化であろうが東洋文化であろうが、日本文化であろうが、変えなくてはいけないものもあります。
文化を変えつつ、文化を守る。
それをやれば、自由なんです。
時代遅れの習慣に囚われるとその社会が壊れます。
「これは時代遅れだ」とわかったら、必ずそれは変えなくてはいけない
(続きます
社会と縁を切ったらどうなる? - 束縛の多い世の中で自由に生きる(8))
束縛の多い世の中で自由に生きる~本当の自由とは~
スマナサーラ長老法話 2016.07.17
(https://www.youtube.com/watch?v=Q_r3KpWK_JY&feature=youtu.be(限定公開動画)を聞いて書きました)
参考外部サイト:
パティパダー巻頭法話(224) 托鉢と施しの文化
乞食の習慣はインドの古代文明の時代からあった可能性があります。インドのアーリヤ民族の文明は四千年くらい古いものです。当時から今まで、インドでは乞食習慣が続いています。一般的に社会が認めない、また社会として恥ずかしく感じるべき習慣が、なぜ消えることなく続いたのでしょうか。……