ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

社会の束縛 - 束縛の多い世の中で自由に生きる(6)

前回

国と国民、それぞれの責任 - 束縛の多い世の中で自由に生きる(5)

 

はい、四番目、「家族などの社会束縛」。

人には家族がいるので、自分勝手に生きることはできません。家族は誰にだっていますよ。わたしは出家したから家族はいないでしょう、というかもしれませんが、サンガの組織に入っちゃったんだから。家族でいたときよりも、条件があり過ぎ。

 

だから、世間の束縛から逃げられませんね。

わたしは家では、両親やら兄弟やら、そういう決まりで束縛されるのは嫌や、こんなのは、と出家したところで、2600年ずっと続いている、ものすごく束縛の多い社会に入ってしまったんです。

 

だから勝手やわがままは、どこにいても通用しません。

 

自分の権力を誇示すると、自分の幸せと自由がなくなります。

無知な態度を取ろうとすると、自分の権力を誇示しようとするんですね。それでその人が、自分の権力を誇示することに縛られちゃって、小さくなって、自分の自由がなくなってしまう。

 

権力を誇示してはいけません。いかなる場合も。

家族の中でも。奥さんであろうが旦那さんであろうが、自分の権力を誇示してしまうともう崩れてしまう。みな、家族の一員であると理解して、家族であっても民主主義国家だと、年齢は違ってもそれぞれが一員であるとするならば、自由で幸福で生きていると言えますね。

 

旦那さんが自分の考えを強引に押し付けちゃうと、自由が壊れています。

旦那さんが、家族の、子供の抗議まで受けてしまう。

そうではなくて、自分がただの一員で、その一員としての発言をすればいいんです。

 

家族の一人一人が、自分の義務を果たすならば、問題はないでしょう。

一員としての義務を果たす。そうすると問題が消えて、そこで平和で豊かで幸福で自由な社会が成り立つんです。

 

条件はあるんです。

それはあるんだけど、束縛は問題にならないんです。

 

それから、家族だけじゃない。

会社、コミュニティ、〇〇会、クラブなどの組織があるでしょう。そんなものを作るたびに、自分の自由が狭められます。束縛ですよ。

 

何かのクラブに入ったら、そこでたくさん条件を飲まなくてはいけなくなっちゃう。

自分の意思で、それらを作ったり会員になったりします。

 

しかし、自分自身の意思でやっているでしょう。

〇〇会を作りましょう、となったら、自分自身がやっているんですね。そういうことで、規則を守る義務は自動的に起きている。

山を登るグループを作っても同じことです。

グループを作った時点で、いろいろな約束事が現れてくるんですよ。

 

では、なんでわれわれは会社に入りますか? コミュニティを作りますか? クラブを作りますか?

 

これも自分の幸せのためでしょう?

不幸になるために入るわけじゃないでしょう。

 

ゴルフクラブに入った。なんで? 不幸になりたかった、というのはありえないでしょう。

そこでちゃんと損得を考えています。

時々、ドレスコードまであるクラブもありますよ。自分が何か安らぎを求めて、楽しみを求めて入ったんだから、これに損得を考えてほしい。

自分が飲む条件と、代わりに頂く楽しみはどうですか、と。これが赤字だったら入る必要はないでしょう。直ちに自分が退会するか、そのクラブを解散するかなんです。

 

会社に入っても同じことなんですよ。

自分が給料をいただいて生活したいんですね。そこで仕事をさせられるわ、休みはないわ、給料は二週間で消えてしまうわ、どう頑張っても。それはちょっと損のほうが多いでしょう。それだったら、そちらにしがみつく必要はないんです。

 

様々な社会。どれくらいあるかわからないんです。

 

そこはちゃんと、一人一人が自分の損得を考えたうえで、仲良く決まりを守って生活すれば

そこからわれわれは楽しみをいただく、自由をいただくということになっています。

 

それと、無批判的にコミュニティに入ったり作ったりしないこと。

有名人のクラブやお金持ちのクラブに入って、自分が普通の人だったら服装だけでも大変ですよ。

 

だから何かクラブに入りたければ、損得を考えておきましょう。それが自由です。

(続きます

文化の束縛 - 束縛の多い世の中で自由に生きる(7)

 

束縛の多い世の中で自由に生きる~本当の自由とは~

スマナサーラ長老法話 2016.07.17 

https://www.youtube.com/watch?v=Q_r3KpWK_JY&feature=youtu.be(限定公開動画)を聞いて書きました)

The Mysterious Benedict Society and the Prisoner's Dilemma

参考外部サイト:

パティパダー巻頭法話(30) 聖者(阿羅漢)の心(1)1997年8月

人間は様々な義務感、使命感、責任感、個人の意欲、希望などで常に燃えていて、いつでも束縛されています。個人のこと、仕事、家族、社会、そういういろいろな束縛から逃れられません。心の自由を奪われる「束縛」というものは、生きるということにどういう意味があるかを理解していないために起こるものです。……