<前回 楽しみを否定せず - ウェーサーカ祭2007(7)>
おもしろいことは、皆さまが考えている幸福は、皆様全員に獲得することはできません。
世の中ですべての人間は、億万長者になりません。
そうなったと仮定すると、億万長者になってもどうったことはないということになります。四十年前の、憶えていますか? 生まれていなかった? ああ、そう(笑)。
四、五十年前では、冷蔵庫一つを買っても、ものすごく幸福でしたけど。
洗濯機なんかあったならば、もう天国に行った気分なんです。
何年でしたっけ、東京オリンピックがあったのは?
1964年。その前年、初めてテレビでカラー放送が……、そのときもまだ生まれていなかった?(笑)。
当時、カラーテレビを一台買うということは、現代でいえばポルシェを一台買うようなものなんです。テレビの値段は今と同じですけど、十万円とかね。
それで、誰かがカラーテレビ一つを買っちゃうと、周りの人々がみんなその家に集まって、ジーッと見ていたんです。それで、買った人はどんな気分でしょうかね?
その後どうなったかというと、町で、村で、一人しかカラーテレビを買えなかったのに、今では家に三台くらいテレビがあって処分できなくて困ったりとかね。今はテレビがあったって珍しくもないでしょう。
今は携帯でもテレビが見れますからね。わたしの携帯でも。見ないんだけどね。
そんなふうに変わったんです。
みんながテレビを持つようになったら、テレビがあっても別に、と。
だから世界中みんな億万長者になっちゃうと、つまらなくなっちゃうんです。別な幸福を探さなくちゃいけなくなっちゃうんです。
つまりそれが幸福の道ではないんです。
(続きます
次回は最終回です)
ウェーサーカ法話(2007年5月12日)アルボムッレ・スマナサーラ長老
(https://www.youtube.com/watch?v=sQT_7Z4XbwA を聞いて書きました)
参考外部サイト:
巻頭法話(105) 幸福がこぼれ落ちる理由 2003年11月
なぜ人は、そんなにも幸福を期待するのでしょうか。
皆、ひたすら幸福になりたいと切望するだけで、なぜそのような気持ちになったのかを観察しません。
答えは簡単です。「今の時点では、私は幸福ではありません。だから、幸福を期待しています」ということです。
幸福とは、未だ手に取っていない抽象的な概念にすぎないのです。しかし、今味わっている不幸、不満、苦しみはとてもリアルなものです。