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スマナサーラ長老の経典解説・梵網経(2016.03.25 ~ 09.13)

スマナサーラ長老による梵網経解説は、9回にわたり行われました。

各回の実況ツイートのリンクと概要をご紹介します。

 

第一回 2016年3月25日(金)

実況ツイート http://twilog.org/jtba_talk/date-160325/asc

ブログ http://thierrybuddhist.hatenablog.com/entry/2016/04/02/050000

 

第二回 2016年4月22日(金)

お釈迦様が、「凡夫が如来を称賛する理由は、ごく些細な戒律を守っているからなのですよ」と、小戒、中戒、大戒、とお釈迦様ご自身が行っている戒律を次々と列挙しています。

こんなものまで、とびっくりするような細かな戒律もありました。

 

これらの膨大な戒をひっくるめて、それでもお釈迦様は「こんな戒律を守っていることくらいで如来を褒めるなんて」と少々あきれ顔なのでした。

「どうせ褒めるなら、如来にしか知ることのできない次のようなことで褒めるべきです」と、次回からはその内容に入っていきます。

 

第三回 2016年5月6日(金) 

この回は「四種の常住論(魂の不滅論)」について学びました。

常住論を唱える尊敬すべき沙門・バラモンたちは、ただ妄想して「魂は永遠だ」と言っていたのではなく、冥想し禅定に入り数十万回に及ぶ輪廻転生を自ら観た結果でした。

それなのに、釈尊はこれらを「邪見である」と断言したのです。

そこでスマナサーラ長老から出された宿題は、「なぜこれらが邪見なのか?」でした。

 

わたしの答えはこうでしたが、皆さんはどうでしょうか。

https://twitter.com/thierrybuddhist/status/729266638118211584

https://twitter.com/thierrybuddhist/status/729260659062378496

 

第四回 2016年5月27日(金)

中止

 

第五回 2016年6月10日(金) 

四種の部分的常住論がテーマでした。

部分的常住とは、ある生命は永遠不滅で、ある生命は不滅ではない、という考え方です。

 

経典では、ある梵天が自分の見たことだけを元に信念を作り出し、自分を創造主だと勘違いするというエピソードがあります。他の神々も、自分の認識範囲で「ある生命は永遠で、他の生命は死する」と結論付けます。

 

この梵天・神々の勘違い話はSFのように聞こえるかもしれませんが、核となるメッセージは「生命がいかに自説を作り出し、それに固執するか」という、わたしたちにも日常的によくある話なのです。

 

ちなみに、世界が破滅した後、ほとんどの生命は光音天(こうおんてん)に転生するとか、そこから梵天、天界、……と落ちて行く過程とか、聞いていてとてもおもしろい回でした。

それにしても、なぜ「ほとんどの生命が光音天に転生する」のでしょうね? そのときの生命には低いレベルの次元にいくような、こころの持ち主がいないということなのでしょうか。

 

片山先生のパーリ仏典では、110頁から121頁です。興味のある方はぜひ。

長部(ディーガニカーヤ) 戒蘊篇I (パーリ仏典 第2期1)

 

第六回 2016年6月24日(金)

 四種の有限無言論について。ここでもやはり、禅定による経験(三種類)と、禅定なしの推論のみ(一種類)で世界が有限または無限であると認識し、その自分の体験から「これが事実だ」と確定してしまうというお話です。

 

四種の詭弁論(きべんろん)についても語られており、善が何かとハッキリ知らないので不善をしてしまうことを恐れるなどの理由で、言葉をあいまいにして詭弁論に入る人びとのことを言っています。詭弁論者のうち、自分の心を汚すことを恐れるか(嘘と怒りの二種類)、社会の批判を恐れるか、愚鈍なので言質をあいまいにするのか、と四種類の詭弁論をお釈迦様は分析していらっしゃいます。

 

第七回 2016年7月6日(水)

 二種の無因生起論について。

禅定による体験を経て「わたしは以前には存在しなかった」と理解する人と、推論して考えただけで自己の理解するところを「我と世界は無因にして生起する」と結論付ける人の二種類を挙げています。

 

以上で、第三回の常住論からここまで、過去に関しての見解はこの十八種『のみ』です、とお釈迦様は断言しています。

 

どうしてお釈迦様だけが断言できるの? というと、「如実に知って、執着なく、解脱したのです」とお釈迦様が答えています。

「知ることに執着しないから、ただひとり自ら、そこに寂滅が見られます」とも。

つまり、智慧によって知った、ということですね。

 

冒頭でお釈迦様がおっしゃっていたように、「戒律を守るという些細なことで褒めるより、過去を智慧により如実に知っていることで、如来を正しく褒めることが可能です」という実にカッコいいお釈迦様のことばで締めくくられています。

 

第八回 2016年7月22日(金)

実況ツイート http://twilog.org/jtba_talk/date-160722/asc

 

過去に関する考察を終え、次は「未来に関する考察」です。

ここでは魂論、禅定の段階などから未来に対する世間の見解は、四十四種類の根拠『のみ』です、と断言されています。

 

そこで、過去・未来に関しては、全部で六十二種類の根拠により、世の中にはさまざまな説が成り立っているのだ、といいます。

 

第九回(最終回)2016年9月13日(火)

実況ツイート http://twilog.org/jtba_talk/date-160913/asc

 

今までみてきた「尊敬すべき沙門・バラモンたち」がなぜ邪見に陥ってしまったのか? 

達するのが難しい禅定の境地にまで入って、なぜ誤った見解をもってしまったのか?

 

その答えは、「渇愛に囚われた者たちの煩悶し動揺したことにすぎません」。

つまり、いくら禅定に入っていても、渇愛がそのままあるので、怖れと不安でこころが揺らいでしまうことが原因ということです。

 

キーワードは、Phassa(パッサ=触)。

眼耳鼻舌身意の六処に情報が入ってPhassaが生じても、それを掴んではいけません、というお釈迦様のアドバイスです。

偉大な長老方がよくおっしゃる「放っておけ」「執着するな」「固執するな」というのは、こういうことだったとわかります。

そこで初めて、お釈迦様の「知ることに執着しないから、そこに寂滅が見られます」という境地が現れてくるわけです。

 

世の中のあらゆる哲学・思考は、ここで紹介された六十二のパターンに入ることから、すべてを内包する網・ネットという意味で、この経典を「梵網経」とお釈迦様自ら提案なさったということです。

 

ちなみに、現代の哲学・思考パターンは、ほとんどが禅定なしの推量・考察なので、種類がグッと少なくなるそうです。

 

わたしたちは、「こっちの説が正しいのではないか」「いや、あっちではないか」といつもキョロキョロと哲学や情報の谷間をさまよっていますが、それをショートカットできる方法が、この梵網経には書かれているのでした。

 

さて、梵網経解説が終わり、次は『スッタニパータ第五「彼岸に至る道」二 アジタ仙人の質問』がすでに全二回にわたり解説講座がおこなわれました。

これについては後日、感想など書ければと思います。

関連したツイートなどご覧になった方もいらっしゃると思いますが、この二回の解説もすごかったです。

講座終了後のざわめきやテンションの上がり具合が高かった様子でした。

 

11月は、スマナサーラ長老の経典解説はありませんが、12月は9日(金)に予定されています。

今度の経典はなんでしょう。楽しみです。

 

 

関連エントリ:

経典 カテゴリーの記事一覧 - ブッダ・ラボ - Buddha laboratory

 

長部(ディーガニカーヤ) 戒蘊篇I (パーリ仏典 第2期1)

長部(ディーガニカーヤ) 戒蘊篇I (パーリ仏典 第2期1)

 

 

お知らせ』:

大阪岸和田 アラナ精舎のカティナ衣法要が昨日(10/23)おこなわれました。Sadhu sadhu sadhu !!

今度は東京のゴータミー精舎でカティナ衣法要が行われます。11月3日(木・祝)です。

注意:2016年のカティナ衣法要は終了しました。

 アラナ精舎のカティナ衣法要と同様に、今回もアマゾンでお布施リストを個人的に作成しました。

ゴータミー精舎(カティナ衣法要)のお布施リスト:Amazon.co.jp

【送り状に差出人のお名前がないケースがあるそうです。

アマゾン購入画面にて「ギフトの設定」に☑チェックしていただき、お名前(匿名可)を 無料「ギフトメッセージ」欄 に記載していただけると助かります。宜しくお願い致します。】

 

また、こちらのリストのみならず、ゴータミー精舎へ各々直接お布施することもできます。

詳細外部サイト:ゴータミー精舎『カティナ衣法要』雨安居明けお布施式

 

カティナ衣法要についてスマナサーラ長老の解説

外部サイト・仏教徒が衣を布施する大法要