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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

ベジタリアンのほうがいいですか?

説法めも 殺生

質問

ベジタリアンのほうがいいですか?」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

あなたが菜食主義をいいと思っているならば、なんでわたしに聞くんですか?

それは個人の問題でしょう。

あなたはなんで菜食主義がいいと思っている?

 

質問者

「わたし個人はいいとか悪いとか思っていませんが、仏教的によく菜食主義がよいと聞きます。その理由を知りたいのですが」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

仏教的には、人が何を食うかということにはごちゃごちゃ言いません。

生き物だからね。蛇は、蛙を鵜呑みにしていますけどね、これはいい悪いが成り立つ?

 

鳥たちは昆虫を食べる。いい悪いがありますかね。ただ肉体を維持するために材料を入れているだけでしょう。

 

その過程でわれわれは人間だから、罪を犯さないほうがいいんです。

それだけ。

 

人間が食べる物は全部品物であってね、生きたものは食べられません。

肉、魚といっても、部品でしょう、食べているのは。死体でしょう。

 

キャベツや焼き魚の一部というね。

どちらが正しいとか言える?

全部部品なんですね。

 

自分の体に合わないものは食べません。

体に合うものを食べればいいんです。それだけです。

 

食べるからと言って罪を犯してはいけない、と人間には言っています。

動物には仕方がないんです。動物は食べることによって罪を犯しちゃうんです。人間には、罪を犯すことをギリギリまで減らすことができます。

(終わり)

 

スマナサーラ長老 東京法話と実践会 2016.10.30

http://www.ustream.tv/recorded/92526227 (期間限定公開)を聞いて書きました。》

 

「食」関連で参考過去記事を……

ダルさを脱皮していつもピカピカに-「実感すること」が脳を変える(長老の「仏像の取扱説明書」)

私はこの間、豆乳を買いました。野菜でも豆乳で茹でてみようと思って大きいサイズのを買って、一回使いました。でもその後忙しくなって食事を作れなくなって、豆乳がそのままでした。もうだいぶ日にちが過ぎてしまいましたが、これを捨てると言うのは良くない行為だと、なんとかして無理にでもこれを食べなくちゃと。

 

3週間経った豆乳を鍋に注いだら、水だけですね、出てくるのは。それで振って、中身を出したら、やっぱり腐ってる。でもそれほどひどく腐っているわけではない。鍋に野菜も全部入れちゃったし、もう食べるものがないから、その豆乳で煮て食べました。

 

ちょっと腐っているけど、どうしたことも無いと思っていたのですね。食べたらやはりどうしたこともありませんでした。

 

何が言いたいかと言うと、常識では食べない方がいいものを食べても大丈夫でだったのに、私たちの悲観的な生き方は何なのでしょう。

 

豆乳で野菜を煮て食べる方法、わたしも時々作っていますが、おすすめです。

ゴマダレをかけたり、ナッツ類(カシューナッツ、ピーナッツ、アーモンドなど)を散らしても👍。 

豆乳だけでは濃厚なので、水やだし汁で薄めると食べやすく感じます。

そうやって使うと意外に豆乳が余るので、上のお話のように使い残しの豆乳には「要注意」ですね。

 

 

続いて、こちらの過去記事は、長老のコンビニでの印象深い思い出。

ビジネスに欲は関係ない。競争もない。【食品のこと・前編】

ずっと覚えていることがあるんですが、ある日、すごく忙しくてご飯食べる時間になっちゃって、走ったらコンビニがあったんです。昼ですからね、人がたくさん並んでいたんです。コンビニは家族経営のようで、レジでおばあさんが息子さんたちに言われるようになんとかレジ打ちをしている。

 

わたしも並んでいて、弁当を買って、そのおばあさんがレンジで温めて袋に入れて「はい、召し上がれ」と一言、言ってくれたんです。

 

丁寧でもなんでもない言葉です。普通の店員さんは「ありがとうございました」と機械的に言うだけでしょう。あのおばあちゃんには、レジの仕事とか何の関係もなく、今までずっと自分の子供たちにご飯を食べさせてきて、その癖がそのまま。相手は誰でも、「はい、召し上がれ」。

 

「食いなさい」という態度なんです。しかしあの一言の中に、ものすごいことが入っているんですよ。「食いなさいよ」の一言の中に。

 

わたしには、ぐっとその波動が入ってくるんですよ。そのおばあちゃんが子供たちにずっとご飯を食べさせてきて、怒ったり怒鳴ったりして、怒っても「育てたい」という慈しみでしょう。わたしは、今までずっとコンビニで食っているんですけど、覚えているのはそのおばあちゃんの顔だけ。

 

たとえ、ああいうインスタント食品であっても、ああいう人から手渡しされると、あんまり当たらないと思いますよ。

 

だから、気持ちですよ、問題は。心と心のつながりなんですよ。

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