この経典に出てきた3つのパワーワード
から、経典の意味に迫っていきたいとおもいます。
今回は一番目の、
nigghosaṃ(ニッゴーサム)
スマナサーラ長老の解説からメモしたものは以下になります。
- ghosaというのは「騒ぎ」という意味で、niで否定するので「騒ぎがない」という意味になる。
- これは涅槃に対する形容詞。
- 波が立たない、いわゆる「空(くう)」である。
- 相対的な世界に対して、非相対的、絶対的という境地。
- 何かにぶつかったら波が立つ。世の中はいつでも因果法則で、原因が揃ったら結果がでる。それが波である。例:鼻に香りが入る ➡ 匂い、という波が生まれる ➡ 認識するという波 ➡ 評価する波、これが煩悩
- ヴィパッサナーでは、その波を観る。
波に関する説明(スマナサーラ長老談)
匂いの波から、複数の波が凄い速さで生まれる。それを気づきをもってヴィパッサナーする。
匂いがあるということは、自分の「内」とは関係がないこと。しかし、それを内に持って行く、煩悩として。内に持って行くことで幻覚を作る。そうしたあらゆる波がないことがnigghosaṃ(ニッゴーサム)である。
この偈の 日本語訳(中村元訳):
1062(1068)
師(ブッダ)が答えた、
「ドータカよ。では、この世において懸命であり、よく気をつけて、熱心につとめよ。この(わたくしの口)から出る声を聞いて、自己の安らぎを学べ。」
(ここでニッゴーサムにあたるのは、「自己の安らぎ」 です。スマナサーラ長老の解説を聴いた後では、この偈の印象がガラリと変わりました。)
関連エントリ:
パーリ経典解説「スッタニパータ 彼岸道品 学生ドータカの問い」1 - ブッダ ラボ - Buddha Laboratory