ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

「言葉の重みについて」ブッダの冥想実践会(中編)

(「言葉の重みについて」ブッダの冥想実践会(前編)から続きます)

  • 「悪人は多数、善人はまれ」

良い人間になるためには、自分の本能を「殺さ」なくてはいけません。

本格的に善人になるためには、自分の自我を失くさなければいけません。

 

これ難しいでしょ。自分の本能に対立することっていうのは、結構難しいんです。

 

ときどき母親から赤ちゃんを取り上げることがあります。アメリカの判決とかでときどきあります。どれほど辛いことか。なぜなら、母親にとって赤ちゃんを育てることは本能なんです。

悪人になるには至って簡単。テロリストになるにも、いたって簡単なんです。ただの悪人ですよ。

 

しかし、殴っても殴り返さない人間になることは、いかに大変か。

 

だからといって、人間はみな悪人だと言うことは言いすぎですから、「優柔不断で、悪人とも善人ともいえない人々も混じっている」と付け加えます。

 

瞑想会に来ても、瞑想しないでお茶飲んでいるんですよ。瞑想会は月に何回も無いでしょ。せっかく来たんだから、一生懸命瞑想すればいいのに。そういうふうに、多くの人が悪人でも善人でもない、中途半端なんです。

 

  • 「あなたの将来はどうなるのでしょうか? それはあなたの聞き入れる言葉次第なのです」

 将来っていうのは誰にも読めません。しかし、自分がどんな言葉を聞き入れているのか、どんな言葉に乗るのか、ということで分かります。

あなたが影響を受ける言葉によって将来が決まるんです。

 

  • 「言葉の使い方。言葉を機関銃のように発射してはならないんです」

言葉によって解脱に達することもできるし、地獄にも落ちることもできる。

問題は、私の言葉で私自身が迷惑をこうむるだけじゃないでしょ。

たとえば、「ナンマイダ」といえば極楽に行けると思っていたのに、私の話を聞いたら違う世界が開いちゃったでしょ。そんなに簡単じゃないんだと分かってしまったでしょう(笑)

 

言葉は洗脳されていましてね、言論の自由とか、あれ実際無いでしょう。

日本に、アメリカに、言論の自由がある? ないでしょう?

本来、言論の自由があってはならないんです。人格が完成した人にだけ、言論の自由があります。完全に悟りに達した人にのみ、あります。

お釈迦様はしかし、自由にしゃべりません。自分で設定したモラルがありました。

 

他人を不幸にする言葉を使う人は、重い罪を犯しています。

いい加減に無責任にしゃべることは、言葉の罪です。影響によって重くなります。

 

言葉って言うのは面白いんですよ。人を怒らせようと思ってしゃべるでしょ。自分がまず怒りにやられます。

 

言葉の罪は重いのです。ブッダの時代、あるお坊さんが、言葉の罪を犯して阿鼻地獄(あびじごく)よりもっとひどい地獄におちたと言われています。

 

怒り、嫉妬、憎しみでしゃべっちゃうと、自分がジリジリと壊れてしまいます。

 

ランクがあります。小さな戒律を破っちゃったら、懺悔して許されます。

 

しかし、嘘にかかわる戒律を犯すのは重罪です。

見栄を張って自我を張って「私は悟っています」ということ。これによって、脳が悟れない状況になってしまいます。悟れないなら、サンガに居ても意味がないから帰れ、ということになります。

 

サーリプッタ尊者は智慧の第一人者で、小さな子供の出家者は、サーリプッタ尊者に任されました。「ダメだ、これは―!」と叱ることが無いんです。智慧を持って教えたのです。

 

それをうらやむ一人のお坊さんがいました。その人は、サーリプッタ尊者はオーラもないし、普通のお坊さんでしょうと、思っていました。

そのお坊さんは、サーリプッタ尊者を批判しました。お釈迦様は、そのお坊さんに「サーリプッタ尊者に謝りなさい」と言いましたが、謝らなかった。そしてお釈迦様は三回同じことを言いましたが、そのお坊さんは謝りませんでした。それで、そのひとの人生が終わってしまいました。

 

謝っちゃえばよかったのに、その人の寿命も業も消えて、地獄に落ちちゃったんですね。

 

それでなんでこんな余計な話をしたのかというと、言葉っていうのは大変です。

お釈迦様が唱えた言葉があります。

「人間は口の中に斧を持って生まれます」と。斧と言うのは舌のことですね。

 

悪になる言葉

  • 真実を語らず、他人をだます
  • 乱暴な言葉で、他人をおどす
  • たとえ事実であっても、仲たがいする言葉で他人の関係を壊す
  • 時間とは大事なもの。寿命は短い。何の役にも立たない言葉で自分と他人の時間を無駄にします。無知の感情ばかりが、無駄話で強まる

 

これはやってはいけません。

人の役に立つ良い言葉を語ろうとするには、かなり大変です。

感情がむき出しにならないように、自分を戒めます。自分の中の獣を踏みつけて、話すんです。

聞く相手に影響を与えて、運命も変えると思って、注意深く話します。

それができないんだったら、他人に語ることはやめてください。

 

今は、しゃべる資格について話しています。

 

物事を先に、自分が理解している必要があります。他人への影響について、常に注意している必要があります。

正しくしゃべる場合は、自分がまずしっかり理解していなければなりません。

聞いている人々がどの程度で理解しているのかと、注意しなければあかんです。

 

ブッダの冥想実践会2013,住吉大社武道館スマナサーラ長老)よりメモしました)