ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

なぜ懺悔をしなくてはいけないのですか?

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/315681.html

2007年3月18日関西定例瞑想会スマナサーラ長老法話(音声ファイル下)よりメモしました)

 

人間はいろんな失敗をする。いろんな悪いことをする。いろんな過ちを犯す。過ちを犯さずに生きるということは、人間には無理です。

自分が良かれと思ってやったことが、とんでもない誤りだったということはいくらでもあります。

 

あるいは家族のために、子供のために、会社のために、やむを得ず悪いことをする。そういうふうに、われわれの人生は悪でいっぱいです。

 

ですから、素直に懺悔する。自分が悪いことをしてしまう人間であると。

 

傲慢で生きているんじゃなくて、だから何だ、と言う態度をとらないで、「世の中みんなやっているんだからいいんじゃないか」という性格ではなく、やっぱりなるべく悪いことは控えましょうと。

 

ぎりぎりまで悪いことをしないで、優しい人間として生きていきましょう、という心構えと、今までの罪を改めて、きれいさっぱりとした心になってからブッダの世界へ入りましょうと。

 

だから懺悔をするんです。

それで資格を取った、ということになります。ブッダの話を聞くための。

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参考:
初期仏教では、何かで集まると(法話・瞑想会、法事など)、始めるにあたって決まった流れがあります。
その流れとは、
1、礼拝(ナモータッサー、で始まるブッダへの挨拶)
2、三帰依(ブッダ、法、サンガへの信頼表明)
4、懺悔誓願の文(今回の法話はココについての質問です)*1
5、慈悲の瞑想
この5つを行ってから、法話や瞑想を始めます。
 
自宅で瞑想するときも、以上の5つを行った上で瞑想すると「効き目」があると思います。

*1:

礼拝のことば より「懺悔いたします。無明の闇におおわれて、身、口、意、の三業によっておかしてしまったあやまちがあります。仏、法、僧、に対するあやまち、恩師に対するあやまち、生きとし生けるものに対するあやまち。
これ等いっさいのあやまちを懺悔いたします。また、自分が受けた他の人々のあやまちも許します。

この様に雑事を離れ、独り静かに自己の心身を念をもって観つめるとき、瞬間、瞬間、変化生滅しつづける現象をヴィパッサナーによって洞察し、真の幸福を得て、解脱の道へ導かれますようにと、ここに誓願をいたします。」