ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

冥想中に眠くなるのは

質問「冥想中に眠くなるのは背筋を伸ばさないからだと、以前、聞きました。自分では背筋を伸ばしているつもりなんですけど、気が付いたら前かがみになっていることがあって、どうしたらいいんでしょうか?」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

冥想していると、誰にだって眠気が襲ってくるということはあるんです。

よっぽど戦う精神がなければ、よっぽど勇気がなければ、よっぽど開拓精神がなければ、人間は成長しません。

人間が退化するような仕組みなんです。こころがおかしいんだから最初から。

 

物質を破壊しようという働きは自己破壊の道で、それはやっていますね。金儲けることとかあれやこれやと。いくらでも寝ないで、徹夜してでも。破壊の道だったら、眠気はないんです。自分が破壊することを何かやると、仕事以外でもね、結構元気になってやっちゃいますね。だからそう言う道に走るように、こころが仕組んでいるというか、こころはそういう働きなんです。

 

人格を向上しようとすると、けた違いに勇気が必要なんです。

 

だから冥想を実践しようかなと思ったら、生半可な気持ちでできるものじゃないんです。あえてブッダの正しい冥想っていうのはシンプルなんですね。インチキ、迷信、信仰とか何もいれてないんですね。

だますものが何もないんです。それでシンプルすぎちゃって、シンプルだからやりづらいって変でしょう? いかに頭がいかれているかと。複雑すぎてできっこない、というのなら論理的なんですけど。これはあまりにも単純だからできませんというのはね、このポイントからも、いかに人間がイカレているかというのが見えてくるはずなんです。

 

だから、ヴィパッサナーを実践しようとするとけた違いに勇気が必要なんです。執着を捨てる世界だからね。精神的に弱い、優柔不断な人には執着捨てることはできません。精神的にものすごく強い人が執着を捨てるんです。

 

ものすごい、もう、どんな生命も敵わないくらい精神的に強い人が、執着を捨てます。弱い人は、「ああ、これ欲しい。あれ欲しい」と両腕いっぱいに握りしめているんですね。足が弱くて歩けない人が杖にしがみつくような感じで、われわれはあらゆるものにしがみついて生きているんです。ということは、精神的には全く情けないほど弱いんです。

 

だから金持ちは悟れませんよ。タレントさんたちは悟れません。冥想もできません。失格なんです。精神が弱すぎなんです。人気者でなければ、自分のギャグが売れなければ、自分の曲がヒットしなければ、とかね。

そういう物質的なものに依存して、老後のために奴隷になる人生というのはけしからん生き方なんです。

生きているとは言えないんです。

 

弱い人が執着するということが理解できないなら、これはお年寄りの方に申し訳ないたとえなんですけど、年を取って歩けなくなった。そうすると、杖とかウォーカーとか、なにかにしがみつくんです。そのケースは仕方ないんだけど、理論は分かるでしょう?

なんでおばあさんが、キャスターのついているウォーカーにしがみついているのかというと、歩けないんです。

 

だから精神的に弱ければ、いっぱい執着する。たくさん金がなければ、とか。あれがなければ、これがなければ、わたしは幸せになれませんという人々は、精神的に情けないほど弱いんです。

それでブッダは「捨てなさい」と言っているんです。「頼るなよ、なににも」と。

ということは、究極に、精神的に強い人間なんです。

 

足が強くて十キロでも二十キロでも歩ける人に、「あなたこの杖を持ってください」と言ったら、怒られます、逆に。なんのための杖ですかと。要りませんと。

ブッダの冥想は精神的に、すごい強い、強者をつくります。その証拠は執着がない。なににも依存しない。

 

「そういう強者を目指していますけど、眠くなるんだ」というなら、話は終わりです。

「ちょっと寝てからやってもいいんですか?」というのは、何も戦いをしていないんです。自分のけしからん、薄弱の精神と。戦っていなんです。眠気に負けるもんかと思っていないんです。痛みに負けるものかと。

「足が痛いから15分しか座る瞑想はできませんよ」と。それならわたしには、「どこかへ行ってください。こちらに来ないでください」と言うしかないんです。「これはあなたが入るべき世界ではないんだ」と。

 

自分との戦いなんです。自分の弱い精神との戦いなんです。

 

というわけで、誰だって冥想しようとしたら、もう……(眠気、足が痛むなど問題があります)。もともと弱いんですからね(笑)

課題はみんな同じなんです。生まれつき精神的に完成した人は、生まれませんだから(笑)完成してたら生まれませんよ(笑)

 

生まれたっていうことは、情けない命なんです(笑) それで修行しようとすると、この課題は誰にでも同じなんです。眠気が出てくるわ、足が痛くなるわ、肩がこるわとかね、あれやこれやと言い訳を持って来るんです。すべての言い訳は「戦いたくない」ということなんです。

わたしは今まで通り汚物の中にいたいんだと。だから、汚物に沈むことが楽しいか、そこから立ち上がって、きれいに体を洗って、汚物の世界にさようならと言うのか、どちらかということです。

 

執着する世界は「汚物」という喩えを仏教では使っていますよ。

お釈迦様が覚る前に夢を五つ見ました、というエピソードがありますね。

一つの夢は、ヒマラヤみたいなものすごい汚物の山。その上に、お釈迦様は当時菩薩でしたらからね、菩薩が歩いているんです。しかし足は、全く汚れません。汚物の山を歩いているのに、足裏はまるっきりきれいなんです。いわゆる、執着がないということなんですね。

 

他の生き物は蛆虫に喩えていますけどね、そのエピソードの中ではね。蛆虫は、汚物の中でなければ生きていられませんね。解脱の境地っていうのは、汚物の山の上で、足が全く汚れることなくいられることなんです。

 

その夢をお釈迦様がどういうことかとみて、「あ、これはわたしは必ず覚れる、と言う意味だ」と。世間は汚物の山です。世間に何の執着もしない、世間の話に乗らないという、覚りの世界で、これは強い精神の世界なんですね。

だから、緊張するとかね、冥想する人にはないんです。前もって準備することもない。どんな質問でも出してください、というのはそういうことなんです。わたしは何の準備なく答えます。

答える前に理解する必要のあるものまで言うんです。それにはまずこれを理解してください、それから答えますと。

ですから、強い精神を作る世界ですから、眠気が出たら戦ってください。眠気に負けないことなんです。

 

ただ単に姿勢を直しただけで解決できる問題ではないんです。これは精神面もあります。一応背筋の伸ばし方を習ってください。ただ、それだけで直らないと思います。気が弱すぎですね。そこはもう、どんどん、着々と修復していかなくてはならないんです。

冥想中は、宿題が次から次へと出てきます。どんな宿題も、自分の精神の弱さに対する宿題なんですね。負けたらあかん。どんな宿題もちゃんと解決して乗り越えていかなくてはいけません。

 

関西月例冥想会 2015.06.07

https://www.youtube.com/watch?v=tadfClGVCbo よりメモしました。

動画上53:15~1:09:45

 f:id:thierrybuddhist:20150701124524j:plain

φ(‥`)。o O (ちょこっと補足)

今回、「厳しいな~」と感じた場合は、質問者さんが「見込みあり」だからかなと思いました。アドバイスを素直に実行すれば成長しないということはないですね。ここは頑張りどころ。厳しく言ってもらえるうちに精進するほうがよさそうですね。 

 

関連エントリ:瞑想中、眠くなってしまいます

眠くなる場合は、歩く瞑想をしたらどうですかね。座る瞑想ではなくて。そういう風にやってみたらどんどん成長すると思います。

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