<前回 お布施で破る次元 - お布施ってどういうこと?(2)>
そういうことで、お布施のいろいろなものがありまして、そのうちの一つがカティナ衣です。
今はあまり意味がない、正直なところ。昔は意味があったんだけどね。ブッダの時代ではね、綿から糸を紡いで、それから織って生地を作らなくちゃあかん。大変な作業なんです。もしかしたら当時はね、お坊さんが自分の村で雨安居に入ったら、村人はみんな一生懸命、糸づくりを始めるでしょうね。三か月ありますからね。
それで糸を紡いで、織って、縫い上げてからお寺に持って行く。
どれほど徳があったでしょうかね。どれほど苦労したでしょうかね。
そのお坊さんたちが雨安居に入っている地域の人々が、みんな一生懸命、一家で一つの糸巻きを紡いで、それから織る場所へ持って行って、それから衣を作るんですね。
それを一日で作りましょうとなっていたみたいです。
それは今では想像できないくらい、人々の気持ちが入っている作業なんですね。
今は布を買ってきて、ミシンで作ってしまいますからね。だからちょっと、われわれは残念だと思いますよ。でも、気持ちを思い出してください、当時のね。
そういうありがたいお祭りになりますね。
カティナ衣祭りっていうのは、大きな祭りをするんですね。
気持ちはわかるでしょう?
村を上げて三か月間準備したんだからね。
ですから、ものすごくその方々の気持ちが一つになって、「わたし」という気持ちが「わたしたち」になって、それから「仏法僧のため」から「人類のため」になって、それで自我のない超越した精神が生まれてくるんです。
かなり派手にお祭りをやるんですね。
以前わたしは、「カティナ衣法要に意味があるのか?」と聞かれましたが、こういう意味なんですよ。
経典にあるのか? と聞かれれば、ないんです。戒律にもないんです。
だからといって、歴史、伝統がありますから、
これは「いかに功徳を積むのか」「功徳とは何なのか」「どういうふうにしたら功徳がたかくなるのか」という、教理学的なところから、このカティナ習慣が現れてきます。
今日皆様が行う、食事などのお布施はすべて、カティナ衣の徳に入るんです。
ですから、われわれの自我がなくなりますように、執着が消えて安らかに穏やかでいられますように、常に幸福を感じて、常に喜びを感じて、常に恐怖感なく、楽しみを感じて、生きられますようにと、さっさと早くすべての煩悩から脱して、解脱涅槃に入りますようにと、誓願いたしまして、三回、サードゥと言ってください。
サードゥ、サードゥ、サードゥ。
(終わり)
「お布施ってどういうこと?」シリーズ全3回
次元を破って生まれてくるもの - 【最終回】お布施ってどういうこと?(3)
こちらのガイドブックはkindle読み放題に入っています。
スリランカ コロンボを3日で回るベストプラン。英語ですが、写真を見るだけでも楽しめそう。
参考外部サイト:
Q: お坊様たちへのお食事のお布施にしましても、テーラヴァーダ協会員主体で行われている模様ですが、協会員でも無く、テーラヴァーダ仏教にも余り詳しくないが、それでもお釈迦様や悟りを目指して修行なさっているお坊様たちを尊敬しているというような一般の日本人はどの様にお布施などをすればいいものでしょうか?
A: 日本で出家したいと決めたことは大変な勇気を必要とする行為です。出家をしたところで、社会は受け入れるか、生活できるか、無視されるか、非難されるか、家族から勘当されるかわからないままに決めたことだからです。仏教に興味ある人々は応援したほうが、本人たちにも自信が出来て真面目に修行して一人前の坊主になるように頑張ると思います。
取りあえず、協会にしょっちゅう来て頂いてボランティアなさっている二、三人ぐらいのかたがたは何とか頑張って食事の用意をしているところです。仏教徒でなくても出家に布施をすることは大徳になります。誰が誰にあげても德を得るのです。しかし、戒律を守り、仏弟子比丘になって、他人にも模範になろうと努力する方々にお布施するのは大徳です。
365人の祈願者が現れれば食事のお布施は年に一回です。作ってあげることは出来ない場合、材料か、費用を協会に渡せば、ボランティアのだれかが作ってお布施するでしょう。
結婚記念日、誕生日などの祝日を言い訳にしてでも良い。
その場合は出家が三宝の祝福もしてくれる。
日本の裕福な社会が、出家比丘サンガを受け入れるような状態ができたら、より大勢の人々にも出家できるし、優秀な人材も現れるし、釈尊の根本仏教を日本に根付かすこともできるので、布施はとてつもない有難い行為だと思います。在家の方々が出家にお布施をすることが、ブッダの教えに長続きできるようにと命を吹き込むことなのです。