ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

パティパダー2023年6月号智慧の扉 量子論【クォンタム・セオリー】と無常 スマナサーラ長老

 お釈迦様は、生滅の流れを発見することが智慧の一つであると説かれました。

現象とは生じては滅する、現れては消える、留まることは一切ない生滅の流れです。川を見ても、建物を見ても、自分自身を見ても、それらは全て変化する流れなのです。これは、全ての現象は実体として存在しない、という量子論(quantum theory【クォンタム セオリー】)で説明できます。学問的な量子論については専門書などで別途調べてみてください。量子論の世界では「〈物〉はある」とは言えません。逆に「〈物〉はない」とも言えないのです。つまりは、「あなたが〈物〉はあると思えばあるのだ」ということになります。物には決まった姿がないけれど、あなたが「見る」たびに、何らかの顔を作って見せるのです。

 

 全ての物は生滅の流れであり、心はそれ以上の速さで変化していることに気づくと、心もまた「あるとも、ないとも言えない」とわかります。

そこで、厭離【おんり】という精神状態が生まれるのです。自分の体だけでなく心にも愛着することが不可能になって、執着が生じなくなります。「これは良い」とも「これは悪い」とも思えなくなってしまうのです。なぜなら「良い/悪い」を言うためには、対象物が存在しなければいけないからです。「パンが美味しい」と言うためには、前提としてパンが必要です。そのパンが成り立つためには、パンを食べ物とする生き物が不可欠なのです。例えば、蛇にとってパンは食べ物ではありません。つまり、蛇の世界にはパンが存在しないのです。このように、「誰がどうやって観察するのか」によって、物の有無もありようも変化します。パンはそれ自体の姿を持つわけではなく、観察する側に合わせて姿を変えるのです。「私が観察するとき、私固有の世界が現れる」ということです。私が見た世界は他者に現れません。他者にはその生命固有の世界が生じているのです。私は私が作った世界だけを見てそれに愛着し、酷い目に遭っています。また、他者も各々が作った世界に執着して酷い目に遭っているのです。

 

 このような量子論の世界は、ヴィパッサナー瞑想によって発見できます。

発見したとき厭離が生まれます。この厭離は「嫌になっちゃった」という一般的な感情ではありません。超越した出世間の智慧で「固定したありようは何一つ成り立たない」という真理を理解することなのです。厭離を「諦め」と表現することもありますが、世間一般で言われる諦めとは随分違います。常識的な見方を乗り越えた「明らめ」の心境なのです。在家の人でもこのレベルに達することは可能です。山にこもって修行しなければいけないわけではないのです。普通に生活をしながらでも、物質と心の量子論的な姿を理解することができます。これは「無常」という仏教用語に置き換えられます。

「一切現象の無常を智慧で見抜く。そして一切現象を厭離する。これが心清らかになる道筋である」とブッダは説くのです。

(了)

 

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パティパダーは日本テーラワーダ仏教協会の月刊誌です。

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