「いわゆる世間で悪人と言われている人が、豊かで喜びに満ちて生きているように見えるのはなぜか?」という質問を受けたことがあります。因果法則では悪因悪果であるはずなのに、悪人がどうして幸せそうなのか、疑問が湧くことでしょう。
まず「悪人」と言っても、すでに人間として生まれた生命なのです。人間に生まれることは過去の生まれで大変な善行為をした結果です。ただし過去にどんな善業を積んだとしても、道徳を知らない人は、その善業の力によって、善悪の判断が出来ないまま行動してしまう危険があるのです。
たとえば、過去世で多大な寄付をしたり、生命を助ける徳を積んだりした人が、また人間に生まれるとします。生まれたところで、あまり道徳的な環境がなく、道徳を守った経験が乏しいとしましょう。それでも、彼の心が「頑張れ、頑張れ」と本人を鼓舞して金を得る方向へ突き動かすのです。自身の心が「いっぱい金を儲けて贅沢に生活しろ」と迫るのだから、手段を選ばずに金を儲けることばかりに手を出すことになります。それから何をやっても儲かってしまいます。すると、それを見ている我々にとっては「悪人なのに何で儲かるんだ?」という疑問が生じます。しかし、これは過去の善業の結果として儲かって豊かになっているわけです。過去の業による刺激があるので、どうしても本人がジッとしていられないのです。そこで何かに手を出せば、上手くいって儲かってしまう。
よく金持ちの人々が言うことで、「金が向こうから寄ってくる」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。これはその通りなのです。たとえば、お店を一軒作ったら、繁盛して、もう金が寄ってきて、寄ってきて、それではもう一軒作りましょう、ということになる。さらにもう一軒、とやっているうちに全国チェーンが出来上がってしまうのです。そこで走り回って会社を管理していると、善行為をするヒマがないという事態になります。たくさんの従業員を抱えて事業をしているので、そのうち悪いこともしなくてはいけない場面にも直面します。こうして世間から「悪人」と指を差されるような悪業を重ねてしまうのです。
一方で、過去世で道徳を守った人々も、だいたい豊かに生まれます。しかし財産にはあまり執着しないで、全く悪いことをせず、人々の為に自分の豊かさを分けてあげたり、使ったりするのです。基本的にあまり金を儲けたいという方向に行かないので、今生では大金持ちにならない可能性もあります。
業は個人財産のようなものでありながら、本人にはコントロールが非常に難しいものです。とにかく善行為には善い結果、悪行為には悪い結果が必ずあると理解して、善行為とは何かを学び、実行するよう努力した方が良いのです。
(了)