今週のお題「秋の気配」
秋めいてきましたね。
涼しくて心地よいのですが、先日からどうも気持ちが落ち込んでしまいます。
ちょこちょこと、嫌なこともありました。
でもそんなに重大なことでもなく、取るに足らないことだったのです。
くだらないなーと自分でもよくわかっています。
そして、秋の気配。ますます落ち込む。
気候が物寂しくなってくると、なぜ気持ちが暗くなるのか。
人はみんな結局死ぬからだと、思います。
秋という季節はそういう感覚を連想させるのでしょう。
本心では死にたくないのに死ななければいけないので、思いっきり不本意なんですね。
「人生は初めから分かりきっている『負け試合』」と、
初期仏教ではよく聞く言葉です。(もちろん勝つ方法が有ってのことですが)
日常のところどころで、気づきたくないのに死を感じてしまう。
負けるのが分かっているのに、私たちは必死で生きています。
日本でのうつ病患者数は、厚生労働省が実施した患者調査によれば、2008年に104.1万人だったそうです。
(その後の患者数の正式調査はないようです。うつ病の診断基準があいまいだからだそうです)
104万人というとどのくらいかというと、都道府県人口を調べたら、秋田県の人口がちょうど104万人でした。
年々増加傾向とのことですが、なんとかうつ病にならずに踏ん張っている人もきっと多いのだろうなと感じます。
さて、この気持ちの落ち込みに何か対処しなければ、と思いました。
そういえばこの間読んだ物の中にヒントがあったはずと、「パティパダー9月号」を開きました。
善い心を育てる方法は、無数にあります。最も強力な方法の一つは、どんな良い行動でもいいですから、これまでに行った善い行動と、行動したときの穏やかな気持ちを思い起こすことです 。(「心を育てる精進③」H・グナラタナ長老、出村佳子 訳)
例としては、「道を渡ろうとしていたおばあさんを助けて、一緒に横断してあげた。見ず知らずのおばあさんだったが、見返りを求めずに行動した。その結果、いいことをした満足感で幸せを感じた」ということが挙げられています。
なんだかちょっとドラえもんとのび太の世界かと思ってしまったけれど、それは置いておいて、私にも「見返りを求めない善行」が何かあったかな……
善い心を思い出し、このように言い聞かせて下さい。「これが育てるべき善い心です」と。善い行動をした時の記憶を使って、善い心を引き起こし、さらに強く育てるのです。
一粒で二度おいしい、というところでしょうか。善い心はリサイクル使用するべきなんですね。ほぅー。
逆に言うと、そうした善い行動は貴重なのでリサイクルせざるを得ないというのも実情かもしれません。
善い心を育てるもう一つの方法は、過去において欲・怒り・無知を乗り越えた時のことを思い出すことです。
例えばある日、子供がしたことにものすごく腹が立ち、子供を叩きたくなりました。でもその後、気づきが生まれ、怒りで行動すべきでは無いと考えると、激しい怒りは弱くなり、心が落ち着いて静かになりました。
そこで、この激しい怒りが収まって落ち着いた、という大きな変化を思い出し、それがどんなに穏やかな気持ちだったかということを観察します。
そして、「この穏やかな気持ちを育てよう」と自分に言い聞かせます。このように善い行動を思い出すことによって、心はリラックスし、喜びで満たされるのです。
これ、やってみます。子供に対しては、ほんと自分の感情に自分が振り回されてしまうので困っていました。子供の方はもちろん、とばっちりを受けて大変ですし。
善い心を育てるために、これまで行った善い行為を心の入れ物に集めることができます。
「善い心の入れ物」……。何かウィスキーの瓶に見えなくもないですが。
もう周りが幸せをもたらしてくれるのを待ち望む必要はありません。自分で作戦を立てるのです。どんな行為をすれば心が穏やかになり、人生が穏やかになるのかということを見出すのです。
これまでにうまくいったこと、うまくいかなかったことを思い出してください。そして「原因と結果のプロセス」を発見してください。
意識的に心に善い面を育てれば育てるほど、だんだん興味が増していき、善い心が育っていくでしょう。
こころには「癖」が付くそうです。これは、こころによい癖をつける裏技ですね。
これまでをまとめると、
- 過去の善い行いを思い出す
- その時の記憶を使ってさらに善い心をつくる
- 過去において欲・怒り・無知を乗り越えた時のことを思い出す
- これまで行った善い行為を心の入れ物に集める
- これまでにうまくいったこと、うまくいかなかったことを思い出し「原因と結果のプロセス」を発見する
- 意識して善い心を育てるとだんだん育てること自体が面白くなってくる
落ち込んだとき、やってみてください。私も早速やってみます。ではでは!