(前回 意味のある言葉で冥想が成り立つ - 言葉遣い(3)から続きます)
話がちょっと行き過ぎですから、元に戻ります。
言葉には一応、決まっている、既定の感情があります。
われわれにはそれを入れ替えたりする自由があります。だから言語というのはものすごく変化しています。
わたしは、ある程度日本語をしゃべりますけど、十代や二十歳ごろの人間がしゃべる日本語はわからない。
別な言語になっているんです。それはもう当たり前。言語は生きているんです。
それで、冥想っていうのは、やっぱり規定で決まっている感情を繰り返し念じて、こころに善い気持ちをインプットしていくんです。
気持ちが清らかになったら、あまり言語のことを気にしなくていいんです。気持ちがすごくヤバいんだったら、最低言葉に気をつけてください。
それは戒律です。
戒律と言うのは、こころが汚いという前提で成り立っています。
こころが汚い、ヤバい。だからいろいろと規則でガードしてあげなくちゃいけない。それが戒律です。
こころが清らかになったところで、戒律の機能が壊れます。
その人は戒律を破りません。だから怒り嫉妬憎しみがある人は、それをなくすことは難しいんだから、最低、優しい言葉を使いましょうと自分を戒める。きついんだけど、優しい平和な言葉を使う。仲たがいする言葉は絶対使わない。他人の悪口は言わない。言葉の戒めを守る。それで無事に生きていられます。
それから冥想で、気持ちを改良すれば完成です。
いわゆる戒律と言うのは、飲酒運転であっても事故を起こさないようにしてあげるものなんです。飲酒運転自体が危険です。
そういうわけで、戒律だけ守ろうとしても破れてしまいますよ。
(終わり)
最初から読む:
良い感情で良くない言葉を使うことは可能か? - 言葉遣い(1) - 瞑想してみる
<東京法話と実践会 2016.03.13
http://www.ustream.tv/recorded/84412689
40:00~1:10:00頃より書きました。>
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