ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

原始脳は無意識・潜在意識ということ?

質問

「長老の本で、原始脳と大脳の話が書いてあったんですけど、原始脳と言うのは無意識の層・潜在意識と考えたらいいんでしょうか?」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

医学的に原始脳ですから、それは生まれる前に出来上がっているんですね。世の中のことを何も知らない脳がガシッと出来上がっているんだから、「生きていたい、死にたくない」しか感情がないんですね。

しかし何でそれがあるかというと、肉体を維持管理するために必要なんですね。

呼吸やら食欲やら、あれやこれやと。大脳は考える脳なんです。見て聞いて、どういうことかと頑張っている脳なんですね。

 

だから、大脳が大事な宝物なのに、原始脳の言うとおりに奴隷みたいにやっちゃって、大脳は自分の力を発揮できなくなっちゃっています。

物を見ても、自分の都合で、生きていきたい、という角度から見るんですね。

 

たとえば、キャベツ二つ見ると、一つはきれいで、もう一つはちょこっと虫に食われていて、「虫食いのほうが美味しいや」と思わないでしょう。虫が食べているから安全でしょう、虫が食べてないからこっちはヤバい、と思わないでしょう。逆でしょ、われわれは。

 

それは生きるためにそうなっているんです。ロクにキャベツが見えないんです。

 

この原始脳の奴隷になって大脳が開発されるのはけしからない、というのが仏教の立場なんですね。ありのままに見えるようにしましょう。そうすると原始脳の支配下から抜けるんです。

 

それで原始脳が死ぬわけじゃない。原始脳がおとなしくなりまして、呼吸を管理する、食欲を管理する、記憶力を管理する。データを覚えるのは原始脳なんです。考える必要ないんだからね、データを覚えるだけで。

 

大脳はデータをインプットします。

大脳が落ち着いてデータをインプットするならば、会話を覚えておきます。しかし貪瞋痴でね、混乱している場合は全部忘れちゃいますね。

 

ですから、原始脳が余計なことをやっているんです。やってはいけないことを。自分に与えられた仕事をしてほしいんですね。

 

世はどうなっているのかと知るのは大脳の仕事なんです。

だから無意識と言う言葉は仏教にないんですね。感情だけを対象にして仏教は語っているんです。

 

原始脳に感情があるんです。大脳には感情はないんです。大脳が感染するんです、感情に。それで大脳の機能がおかしくなるんですね。

 

だから怒りの場合は、理由なく怒っている場合もあるし、これでこうだから怒った、と言う場合もあるでしょう。そういう(後者の)場合は大脳が怒っているんですね。

 

その問題を何とかしましょう、となったら怒りが消えちゃう。理由なく怒る場合は原始脳で、それに大脳が感染して悪口言ったりあれやこれやと最悪になっちゃうんです。言っても聞いてくれないんです。だからいくら言っても人が直らない場合は、原始脳の影響がすごいんですね。

 

やられているんです、完璧に。

 

現代心理学で使っている無意識という言葉は使わないんです。無意識だったらいつでも無意識でしょ。無意識であることさえも知らないでしょ。

 

アンコンシャス(無意識)というのは、意識が無くなった、その状態です。

たとえば何かショックを受けて倒れちゃう。それはアンコンシャス。

 

原始脳は感情をつかさどっている、と理解すればいいんじゃないかなと思います。感情には理論がないんです。怒り・欲・嫉妬に理由がないんです。それが邪魔なんです。

 

さて、これ以上「何か質問はないか?」と聞いて皆様に迷惑はかけられませんから、これで(質疑応答を)終了にします(笑)

 

(関西月例冥想会 2015.3.8

https://www.youtube.com/watch?v=RYXeW3eH01w 1:21:10~終わりまでメモしました)

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