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Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

【在家仏教徒のコラム】承認欲求にさいなまれる

この「承認欲求」という言葉、実はメジャーな言葉だったんですね。

わたしは、最近できた造語だと思ってWikiってみたら、少なくとも2007年には日本語で「承認欲求」が存在していたと知って「Wikiビックリ」しています。(これはわたしの造語です。今思いつきました)*1

説法やお経で承認欲求という言葉が出てくるものは、わたしは分かりませんが、最近聞いた説法の中で関連しているかもと思ったものがあったので、これを書いています。

承認欲求にさいなまれることは、強弱はあれ、誰にでもあると思うので。

 

まず、その承認欲求がどの場面のものなのかを二つに分けてみます。

 

【承認欲求が現実の人間関係での場合】

スマナサーラ長老のこの説法にヒントがありそうです。

 

パーリ経典講義(ゴータミー精舎)「Saṃyuttanikāyo Sagāthāvaggo 1. Devatāsaṃyuttaṃ 31.Sabbhisuttaṃ 相応部経典 有偈篇 天相応「諸善人と共に」経」のツイッター実況中継

http://twilog.org/jtba_talk/date-150416/asc

 

もし自分に承認欲求があって、自分の話を周りの人に聞き入れてもらいたいというものなら、この説法の中でこちらが参考になると思います。 

 

「問題は③影響力 が無いんです。友達どころか自分の父親、母親にも(道徳を)教えることが出来ないんです。どうすればいいんでしょうか? 

影響力をつける方法……一つだけ方法を教えます。なぜ一部の人々に影響力があって、殆どの人に無いのか?政治家は影であれこれ言われていても、本人が出てくるとすごい影響力がある。教育がガタガタになってるのも、教える人々に影響力が無いからです。

方法とは、「自分の生きかたに自信を持つこと」なんです。自分はこういう生きかたをしていますよ、という確信を持つ。これが影響力ある人間の秘訣なんです。今日、憶えて帰ってください。」

 (上記リンク先の上から13番目のツイートから引用)

 

その上で、人に何か言うときは「人権侵害をしないこと」という超重要ポイントも、このお話の中に出てきます。

 

つぎに、

【承認欲求がインターネット上の人間関係での場合】

 

これは、たとえ上の「自分の生きかたに自信を持つこと」をしていても、年数が必要だと思います。有名ブロガーのイケダハヤトさんはご自身で「苦節5年」と言っていますし、同じく有名ブロガーのちきりんさんは「ここまでくるのに10年かかった」と書いていたのを読んだことがあります。

 

これらを踏まえたうえでも、まだ問題が出てくると思います。

それは、承認されたいご自分の意見が「正見(しょうけん)」でない限り、結局、認められたとしてもほんの一部だろう、という点です。*2

だから一般的には、どこまでも承認欲求は満たされないかもしれません。

 

そこでわたしの個人的なおススメは、ダイレクトに「正見」を目指してはどうでしょう? その方が時間を無駄にしないですし、悩みが多い状態に陥らなくて済むと思います。

 

もしよかったら選択肢の一つに。

 

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