質問
「冒頭のお話*1 は、自分のこころは自分で決める、ということと理解しましたが、運命とかカルマに左右されないんですか?」
回答(スマナサーラ長老)
カルマっていうのは、自分の思考が作る結果でしょう。
今までのあなたの思考であなたを作っているんです。あなたはそこから逃げられないんです。
そこから清らかな思考をして、道を変えて行くんです。
思考とその裏にある感情がすべて決めるんです。
その変化するエネルギーをカルマと言うんですね。
感情の中に業があるんです。
たとえば、車はガソリンで動くんだけど、ガソリンは業のようなもので、ガソリンには何もできません。燃えることしか。しかし、ちゃんとしたところで燃やしちゃうと、車として動くんです。ガソリンみたいなエネルギーが業で、こころのなかにあるんですけど。
しかし、思考パターンの中にそれが燃えているんです。
思考パターンが清らかなものだったら、正しい結果を出して燃えるし、悪いならかなりやばい燃え方をするんです。ガソリンの燃え方は環境次第。ガソリン自体は燃えるだけ。
ガソリンを建物にかけて燃やしたら、大阪まで行けるわけじゃないんです。
隣まで火が行って大惨事になる。ガソリンを人の体にかけて火を付けたら、その人がパッと北海道に行ってしまった、ということはないんです。その人は死ぬだけ。
ガソリンを車や飛行機のエンジンの中に入れて、それから正しく運転すると、どこかよいところに行ける。ガソリンは自分の仕事をしただけ。業っていうのはそのエネルギーなんですね。
そのエネルギーは瞬間瞬間生まれるんです。
今の思考で、どう生きるか、何をするのかと決められるでしょう。たとえば、今朝起きて「冥想会に行かなくちゃ」と思考したでしょう。その思考の結果、あなたの体が動いて、電車に乗っていろいろなことをやってここに来たんです。
ここまで来させたエネルギーは業で、思考は、ここに来られるようにしたようにしたんであって、代々木公園に行くようにはしなかったんですね。
あるいは原宿に行こうかなとはさせなかったんですね。ちゃんとゴータミー精舎を目指して、ここまで来たんですね。
思考が途中で混乱しちゃうと迷子になっちゃうでしょう。
だから業が働いています。買い物のこととか昨日会った友達のこととか思考が回転したところで、前の駅で降りてしまった。幡ヶ谷駅ではないんですね。駅を出たらどこにいるかわからない。そこで迷子ということになった。誰がやったんですかね。自分の思考がやったんです。
そのときも、あなたは自分の体でエネルギーを使っていたんです。
使ったエネルギーは同じです。しかし、どのようにエネルギーを使ったかは思考が判断したんです。
だからガソリンのたとえはいいんです。
ガソリンはエネルギーを出してくれる。燃やしてくれる。
どこでエネルギーを出すかということは、わたしたち次第です。
<東京法話と実践会 2016.03.13
http://www.ustream.tv/recorded/84412689
30:00~37:00頃より書きました。>
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