ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

五戒とお酒(2)悟りと食べ物の関係

五戒とお酒(1)より続きます)

つぎ、酒の問題に入ります。

 

酒と言うのは、人間が幸福になる能力を奪うんですよ。酒は細胞にはものすごく毒です。アルコール成分は細胞に毒なんです。

幸せを目指して酒を飲んでいるでしょ? でも毒を飲んでいるんです。

「飲んだ、で、死んだ」だったら、苦しみも少ないでしょう。しかし、じわじわと細胞を壊して、健康を、脳細胞を壊していくことだから、あまりにも残酷なんですね。

 

だから、人を法律で死刑をする場合も苦しませずに瞬間で殺すでしょう。苦しまないように。

死刑が正しいとわたしは思ってないんだけど、たとえ残酷な恐ろしい罪を犯した人でも、死刑に決まったら苦しまないように、あっという間に殺すんですね。

 

死刑に薬を使っているアメリカで、今問題になっていますね。

その薬を作っていたのはドイツでしたが、死刑廃止だから薬を作ることもやめちゃって、アメリカが(独自の薬で)執行したところで大変なことになっちゃって。一回薬を入れたところで死刑囚がものすごく苦しんで、何時間も。で、大きな問題になりましたけどね。

 

だから、たとえ殺すならば瞬間でやってください、なんです。悪いことですけどね。

死刑になる人を一年間で殺すとしたら、そんな残酷なことがあるんですかね? 

ところがわれわれは、酒を飲むことで同じことをやっているんです。

 

仏教でなぜ酒を禁止しているのかと言うと、理性を失うからなんです。正しい判断ができなくなるからです。特に直接、酒が脳を侵すからなんです。

 

人間にとって宝物は何なのかと聞かれたお釈迦様が、「人間にとって唯一の宝物は智慧である」と答えたんです。

 

皆様には智慧がない。

この智慧っていうのは、仏教を学んで精神的に人格的に向上するときの見方なんですね。

われわれに今あるのは、知識なんですね。知識で生きているんですね。

それを壊したらどうなるんですかね? 野生の肉食動物の歯を抜いていいんですかね、親切に。蛇の毒を抜いちゃったらどうなるんですかね? 野生の鹿の足を折ったら? 死ぬでしょう。

 

だから生命には生きるために何か武器が付いているんです。能力。

蛇の毒は、蛇にとっての能力なんです。

馬にも鹿にもライオンにも、それぞれの能力を持って生まれてくるんですね。人間が何を持って生まれてくるかと言うと、知識なんです。酒を飲むことは、その知識を壊しましょうよということになるんですね。

それが一つ。

 

もう一つは、脳を開発する場合にも、酒は毒ですね。

仏道では、「この知識という能力だけではダメですよ。しっかりと智慧が現れるように頑張ってください」と、知識からスタートして智慧まで、人間を進化させるんですね。そうなると、一番ハンディの一つになってくるのは、酒なんですね。

 

性格的な問題もありますけど、物質的に口に入れるもので問題なのは酒なんですね。

仏教では肉魚を食べるなよではなくて、動物を殺すなと言っているんです。生命を奪うなよ、その権利はありませんと。食べ物の状態になった肉魚は物質ですからね、それには文句言わないんです。ま、矛盾あるんじゃない? と言ったら、ありますよ(笑) それは知ってます。

 

肉魚を食べて心が汚れるわけじゃない。心が汚れたら地獄に堕ちますよとお釈迦様は言っているんです。体に入れるものは関係ないんだと。

 

しかし、ただこれだけ、酒と麻薬はやめてくださいと。

ここまで智慧のあるお釈迦様が、肉魚を食べることには何も言ってない。植物を食べることにも何も言ってない。

ただ、出家した女性たちには、ニンニクだけは食べるのをやめないさいと言っています。その理由もちゃんと書いているんです。女性のにおいとニンニクのにおいが混ざると男たちが興奮するんだと。出家した女性方が托鉢へ行ってニンニクのにおいがすると、お布施する側が信仰の気持ちじゃなくて頭がおかしくなってちょっとトラブっちゃったんです。

ニンニクを食べた人の心が汚れるわけじゃないんです。

 

出家者には食べてはいけないものが、ほかにもいくつかありますけどね。それも食べ物自体が心を汚すわけじゃない。

 

たとえば、蛇・トラの肉を食べると体からにおいが出る。それで森の中で生活をすると攻撃を受ける。そのにおいがしなければ、「もう一匹生き物がいるな」という感じで放っておかれるんです。

 

ということで、食べ物が悟りと関係ないというのを理解しましょう。

しかし、酒と麻薬だけは別です。

 

飲むか飲まないかと言うのは個人の自由です。ただ、こういう理由であると教えています。

 

もしかして体質的に、酒の影響が出ない人もいるかもしれませんよ。

もし、酒の影響を全く受けない人なら飲んでもよろしい、と言ったら面倒くさいでしょう。

 

たとえ日本は酒を飲む社会だからと言っても、真理を変えることはできません。

真理とは法則ですね。

日本人の好みで地球の自転スピードを変えることはできません。

 

法則を変えることは不可能です。われわれは法則に自分の生き方を合わせなくちゃいかんです。だから細胞を持って生まれたならば、酒は細胞の機能を低下して壊す。だから仕方がありません。どんな文化的な習慣であっても、法則に合わせなくてはいけない。法則に合わないやり方はやめなくちゃいけない、ということになるんです。

 

しかし、仏教は個人の判断は認めますから、判断は個人でしなくちゃいけないんです。

五戒とお酒(3)酒は百薬の長なのでは?に続きます)

 

(東京・法話と実践会 2015.05.10

http://www.ustream.tv/recorded/62088084  よりメモしました)

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