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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

思考を止める、ただそれだけ|ヴィパッサナー冥想

説法めも 作業工程2(ヴィパッサナー)

《関西定例瞑想会 スマナサーラ長老法話 2010.01.17

http://www.voiceblog.jp/sandarepo/1045306.htmlよりメモしました。》

 

 

はい、これから冥想になりますけど、冥想することになったら、ものすごくこころを自由にしてください。

 

自由にするっていうことは、あれやこれやとか考えないで、とにかく頑張ってみるんだと。何に頑張るのかと言うと、考えないことに頑張る。

頑張るなら、しっかりと真剣真面目にやってください。

 

二つ覚えてください。

「とにかくやってみてください」とわたしが言うのは、「そんなに気にしないでやってみて」ということなんです。

しかし、気楽ではいいんだけど、いい加減ではだめなんですね。せっかくやるんだから真面目にやる。

 

その二つで冥想は進みます。「わたしは覚りたい」とかは、邪魔なんです、冥想には。妄想概念だから。それはブッダの言葉でも禁止しています。だから何か、「こうになりたい」と思うと、こころの自由を妨げたことになります。こころの自由を妨げちゃうと、成長しないんです。すっごい微妙なところですけど、実際はすごく簡単です。

 

とにかくやってみます。妄想・思考を止めてみます。結構踏んばらないと止まりませんね。では、思考を止めることを頑張ってみます。それで十分です、皆様の仕事は。皆様は、思考・妄想を止めることだけに頑張ってください。「怒らないような人間に、もっと明るい人間に、もっと優しい人間になりたい」ということは忘れてください。

自分に余計な課題を作らないでください。

そういうのはこころには、余計な負担なんです。こころをいじめています。

 

何にもならなくてもいいんです。

全部放っておいて、思考・妄想は止めてみる。

それだけ。思考・妄想を止めてみようと思ったら、集中して踏んばらないと。「負けるもんか」と、そこだけ、戦いでやってみてください。

これは結構長い戦いになると思います。構いません。ゲームみたいなものだからね。ゲームでは、別に、負けても負けても、気にするもんですかね? 負けても負けても、やっちゃいますね。しかし、負けても負けても、ゲームをやっちゃうと、どんどん上手になっていくんです。

 

それで、皆様方は思考を止めることに挑戦すると、勝手に人格が形成されます。皆様に責任がありません。負担がかかりません。「よい人間になろうではないか」とか、そんな負担を感じないでください。バカであほでいい加減で、そんなのでいいんです、別に。しかし、わたしが言うことだけやってください。どんなぐうたらな人間であっても、しっかりと実況中継やってくると、わたしはものすごく褒めます。真面目な話なんですよ。

 

人の性格の良しあしを、わたしはみじんも気にしないんです。ときどきいるんですよ。「わたしは実はこういう性格で、あれやこれや」と恥ずかしそうにね。どんな性格でも、わたしはみじんも気にしないんです。

ある人は、「実はわたしは人を殺したことがありますよ」と。わたしは「だから?」と。ぜんぜん(冥想には)関係もないし。みじんも気にしない。

「それを措いておいて、(仏教・冥想で)なにか質問がありますか?」と聞きました。その人はきちんと刑を終えた人ですよ(笑) でなきゃ、わたしがなにか法律を犯していると聞こえたでしょう?(笑)

 

人の良しあしとかね、性格が悪いとか、どうでもいいんです。わたしは本気で気にしないんです。わたしは「思考を止めなさい」という宿題を与える。わたしの宿題をちゃんとやったかどうか、どれだけ。宿題をやっているなら「あんたすごいね。よくがんばりました」と何のことなく褒める。

 

そういうわけで、わたしたちは余計な課題を入れて、今も苦しんでいるこころをね、さらに苦しめる必要はないんです。今も嫉妬して苦しんでいるのに、「嫉妬しない人間になってやるぞ」と思うとさらに苦しいんです。苦しみが倍になるんです。それだけで、嫉妬しない人間にもなれないんです。

「怒らない人間になろう」と思って冥想した結果は? むちゃ怒る人間になって終わってしまうんです。

 

本なんかで書いているのは、世間で、発作を起こしちゃうと困りますからね、発作を起こさないで、なんとかごまかし生活してください、ということで、答えがないんです。

「怒らない~」という本をみなさん読んだりしているみたいですけど、あの本を読んだって怒らない人間になるわけじゃないんです。いくらか自分の発作を抑えてくれるだけ。

精神的な病気になったら、病院で薬をくれるでしょう? あれで病気は治りませんよ。ただ現象を、症状を抑えてくれるんです。

本にできるのはその程度なんです。

 

それで、修行に来る方々は、自分のこころは今も痛んでいるんだからね、そこに新たな課題を入れて、さらに痛めてやる、というのはぐちゃぐちゃになるんですね。それに、その方法が「道」ではありません。それでもやらなくちゃいかんじゃないか、と思ったら間違いです。それは間違った道です。邪道なんです。

冥想しないならば、(怒らない人間になろうと課題を持つことは)正道なんです。

冥想しない人は、何とか発病しないように、手を打っているだけですからね。

 

だから、冥想会が終わって社会に入ったならば、怒らないように頑張ってください。嫉妬しないように頑張ってみてください。社会に出たならばそれが正道です。しかし、冥想会に来たならば、それは邪道です。間違っています。

 

今は、皆様は、思考を止めるだけに頑張ってください。そうすると、気になる性格はどうなりますかね? 嫉妬深くって、わたしのせいでお嫁さんが息子と離婚して出ていった、とかね。息子がかわいそうでたまらんとか、あの嫁は嫌な性格で我慢できないとか、そういういやらしい性格で自分はいいのかと思うでしょう? (今は)問題ないんです。

 

思考を止めようと頑張っていると、副産物として、見事に人格が知らないうちに成り立っていくんです。気づかないうちに、人格完成になっているんです。すごく楽なんです。怒らない人間ではなくて、振り返ってみると、怒れなくなっているんです。楽なんですね。怒れないだけ。だから、怒らないことと、怒れないことはずいぶん違います。嫉妬しない、と、嫉妬できない、はずいぶん違います。すべて智慧で解決します。思考を止めると、智慧が生まれるんです。

 

今、智慧が入る余裕・余地がないんです。妄想しているから。汚い、放射能ばっかりで、入れません。思考・妄想という放射能を何とかしてストップしてほしいんです。

 

わたしは難しい説明をしました。「こころを自由にする。冥想を成功させるために」

 

お釈迦様に項目がありますね。その項目は、このように実践します。

理解できました? 理解できたら最高です。前の説明は全くちんぷんかんぷんでも構いません(笑) これだけは理解してください。

 

冥想するときは、すごく気持ちよく気分よく、なんの目的もない。なんの目標もない、ノルマもない。ただ、思考を止める、ただそれだけ。

それで、すべて、完結します。

こころをいじめると、こころに制限がかかります。

実況中継で頑張ってみてください。

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参考外部サイト:巻頭法話(8)「思考についての考察」1995年10月

すべての「説法めも」を読むには:【目次】説法めも

 

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