ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

覚りの世界|2.区別

覚りの世界|1.差別より続きます)

 

次の言葉は「区別」です。

区別とは知識世界です。そこで学校でわれわれは何を学ぶのかというと、区別のテクノロジー(技術)を学んでいるんです。

それで勉強すると、われわれの脳で区別する能力が付きます。区別っていうのはいたって簡単に、「これとこれは違います」だけなんです。良い悪いは入りません。たとえばわたしは左手でオレンジジュースを持っている。右手でアップルジュースを持っている。「左手にはオレンジジュース。右手にはアップルジュース」これは区別です。オレンジジュースを非難・侮辱しているわけじゃないんです。アップルジュースを非難・侮辱しているわけじゃないんです。同じではない、と言っているだけ。

 

さらに区別すると、オレンジジュースとは何なのか。アップルジュースは何なのか。子供なら、アップルジュースはリンゴを絞るとできて、オレンジを絞るとオレンジジュースというでしょう。もっと大人なら、成分を分析したりする。研究所ではさらに分析・区別できるでしょう

それは区別能力で、どちらが良い悪いは入っていない。

 

ですから、歴史を勉強する、地理学を勉強する、料理を勉強するとかも、すべて区別能力を育てているんですね。その区別能力は、人間にとっては知識です。これはないと生きていけないんです。だからほかの生命も区別能力は持っている。

 

ということは、区別能力は生きるためにあるものなんですね。そこでわれわれは、差別能力を修行してなくそうとする。修行とは仏教的に、自分を観察して自分の悪いところを発見して直すことで、一般的な宗教でやっている修行ではないんです。ああいうのは、仏教は否定しています。太鼓をたたいたりというのはないんです。ただ「これはあかん」と自分の悪いところを見つけるだけです。これが修行です。

 

しかし、区別能力がなくなっちゃうと、もう死にます。

 

そこで人間には区別能力を育ていることはできて、われわれには「教育」というすごい組織がありましてね。人間なら教育を受けなくてはいけないんですね。それは区別能力を育てて、役に立つようにする。ですから、自分だけじゃなくて、たくさんの人々の生き方を助けてあげるくらいでも、自分の区別能力を育てることはできます。

自分だけ生きるんじゃなくて、たくさんの人々のために役に立つ程度に区別能力を上げることができます。そういう人は世の中にいくらでもいますね。

 

われわれは、よくよくみると、他人の知識で生きているでしょう? 結局は。他人の区別能力のおかげで生きていることがわかります。そのなかで、あまりにも頭でっかちで生きていくことはカッコ悪いんです。いかに自分の区別能力が周りのたくさんの人々に役に立つのかというのが、仏教が評価する区別能力なんですね。

 

ただ勉強してただけでは、あまり仏教は評価しない。「あなた生きるだけでしょう、それでは」と。たとえば、すごく勉強していい仕事について、高い給料をもらって自分一人だけで贅沢に生活するのは、「なんだ、あなたの知識はただ自分が生きているだけ」となるんですね。

当然、自分の区別能力が、人の迷惑になる場合は、その人はまた罪を犯しているんです。武器などを開発する人々は素晴らしい知識がありますよ。しかし罪を犯して、地獄に行くんです。薬やら食べ物を開発する人々は、人を助けているんだから、善いことをしている。

 

政治知識も区別世界なんですね。自分の政治理論をもって、人々を非難するわ、迷惑かけるわ、過激行動をとるわ、社会を壊すわ、となったら罪の世界です。政治とは人間のためにやらなくてはいけないことですから、自分の政治理論で人々が助かって役になっているならば善行為で、善いことをしているんです。

ですから、われわれには知識は悪に使うことも善に使うこともできる。だから仏教では学びなさいというし、自分の幸福のために、その他大勢の人の幸福のために学びなさい、と知識にも残念ながら修行が入ります。

 

修行のない知識は危ないんです。その問題は、社会でよく見られるでしょう? 特に教育制度では。

修行が入っていない教育はものすごく危険なんです。

 

知識は生きるためのものです。動物に知識がないと思う? 区別能力がないと思う? あります。でなきゃもう、とっくに死んでいるんです。どんな生き物にも区別能力があります。それは自分が生きる程度でリミットがかけられていて、制限されているんですね。人間にはその鍵(リミット)がないんですね。だから区別能力を広げることができます。その場合は、どんな目的で広げるかというと、「わたし」が生きるだけの区別能力はいたって簡単に身に付きます。しかしそれでは足りません。もっと大きく、もっと大きく、たくさんの人々の命を助けるために、区別範囲を広げなくてはいけない、ということで学ばなくちゃいけない。

 

それはどんな学問でもいいんです。学問には悪の学問というのはないんですね。それでも、仏教は否定している学問があるんですね。科学的でないもの、証拠がないもの、無知と存在欲の感情で欲で成り立っている職業もあります。

 

たとえば風水、占い、ああいうの。

占星術というかね。いろいろありますよ。その世界は広いんですよ。非科学的で、証拠がない、ただ人間の欲のために、命を助けてくれていないんです。そういう迷信に基づいた学問は、畜生の学問だと言っているんです。畜生よりももっと非難しているんですね。日本語に直訳すれば同じ言葉になりますが、(原語は)もっと非難的なんですね。

 

そちらには、まー……、武道も一応入りますけどね。戦うために、殺すための技術。それを畜生の学問、と言ったら動物たちにすごく失礼ですけどね。人間ではなく獣だ、ということですね。それ以外は仏教は学問に何も言っていないんですね。

覚りの世界|3.分別 に続きます)

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東京法話と実践会 2015.07.12 

http://www.ustream.tv/recorded/67329399 (期間限定公開動画)よりメモしました。

 

関連エントリ:スピリチュアル霊能師が、霊魂は確かにあると言っていたのを聞いたんですけど…… (占いについてなど)

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