(寂しい(5)奴隷にしたい より続きます)
わたしたちのこころの中で、煩悩がありましてね、怒りがあって、嫌なものはつぶさなくちゃいけないし、欲が出てくると、好きなものだから自分がなんとかして獲得しなくちゃいけなくなるし。
煩悩だけあると、すごく寂しくなるんです。
そこで人間が何をやるのかと言うと、寂しさを紛らわすために活発に動くでしょ?
活発に動くと寂しくはないんです。これは終わりがないんです。いくらやっても、いくらやっても。
だから、答えとして言えるのは、自分の時間をいつでも有効に使う。常に忙しく生活してみる。いつでも自分に役に立つことをする。寂しいと思ったら、英語の本でも開けて英語でも勉強したら? 「俺は外国人とは関係ない」としても、いいんです、別に。一人でも勉強したらね。
何かやればいいんです。有効的なもの、役に立つこと。それでなんとか煩悩が落ち着いてきます。消えることにはなりませんけど、落ち着いてきます。社会的には、個人には、悪いことじゃない。
自分の時間にやることがなくて、「ああ、寂しいなぁ」と思ったらあかんですね。何とか考えてやればいいんです。だったらこうしよう、だったらこうしよう、と。決して何もしないでぼけーっとしてはいけないんですね。
寂しさの問題を解決した人が、一人でいることをすごく好むんです。「構わないでください」と。「あなた方に問題があったら言ってください。しかし、わたしには構わないでください」という態度でいるんです。慈しみはあるんですね。
たとえば、犀の経典にしても、一般の人は、一人ぼっちで怒りで生きるためにあの経典を引用しますね。
「よくできた金の腕輪を二つ腕に付けちゃうと、ガチャガチャと音が立つでしょう。これってうるさい。だから一人で生活しましょうよ」
二人ではダメだ、というと、怒りの人にとってはすごくいい言葉なんですね。「俺は一人でやってやるぞ」と。違います、それは。
経典で結論のところになってくると、「一切の生命に対して、慈悲喜捨のこころで、誰とも束縛しないで一人で歩こう」と結論を書いていますからね。だから独立精神のある人は、慈悲を満たしているんです。慈悲っているのは見返りを期待しない。「あなた何か問題ある? じゃあ解決してあげる」それが終わったら、「はい、さようなら」と。お返しはいりませんよ、面倒くさい、と。
お釈迦様にしても一日一時間半しか寝ていなかったし。起きている時間はずっと説法しましたし。いつ見てもお釈迦様の周りにはたくさんの人々がいたんですけど、お釈迦様は一人で生活していました。
そこがよくわからないでしょう?
百人、二百人の人に囲まれながら、一人ぼっちで生活するというのは矛盾と思うでしょう?
矛盾じゃないんです。精神的に独立を獲得しているんです。煩悩をなくしているんです。自我の錯覚がないんです。だから、独立なんです。独立と言うのは、無理に隠れて洞窟の中にいることじゃないんです。その人は独立していないんです。ただ、社会が嫌いと言うだけなんです。社会が嫌いということは束縛なんです。関わっているんです。
はい、そういうところなんですよ、三つに分けて講演で説明したのは。結構難しいでしょう? 寂しい、というのを簡単に考えても、説法にしたらややこしい。
(寂しい(7)最終回・二つの解決策 に続きます)
関西定例冥想会 2010.12.12
http://www.voiceblog.jp/sandarepo/1294974.html からメモしました。
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