(冷静になるには(前編)|一寸先はわからない から続きます)
質問者
「冷静さの視点を変えると、大きな音が『ガシャン!』となったときに、びっくりすることがあります。また、夜道で人影がスッとあらわれたときにびっくりしちゃうんですね。これらも安心感からくる、という理解でいいんですか?」
そうなんですね。
わたしの部屋でも、夜、結構音がするんです。わたしは一人で生活していますけど。
まず論理的に、「どんな音でしょうか?」と考えます。ときどきは「お化けでもいるでしょう」と、まあ勝手にしろと言う感じで、びっくりするということはないんですね。
子供とかがいろいろ、わたしをびっくりさせようと思って何かしてきますが、全然わたしはびっくりしないんです。一応、びっくりしたふりをしてあげますがね。子供が後ろから静かに近づいてきても、とっくにわかってるしね(笑)
子供が、「びっくりしたでしょー!?」と来れば、「むちゃ、びっくりしましたよ。死にそうにドキドキしましたよ」と言ってあげますけどね。
やっぱり、びっくりした途端、機能が停止するんですよ。そのときは動物的に、身を守るために逃げるというアドレナリンの反応が起こるんですね。心臓が早く動いたり。アドレナリンで正しい判断はしないんです。そのとき動作は活発ですけど、あまり正しい判断はしないんです。
たとえば、知っている人が突然部屋へ入ってきたら、びっくりしてぶん殴っちゃったらどうするのか。そのときはアドレナリンの反応ですね。「あ、やばい、身を守らなくちゃ」という動物的な判断ですね。人間は、「これは泥棒かな。だったら面と向かわないほうがいいや」と、何とかしようといろいろと考える。
対策を練るんですね。
対策を練る余裕が、冷静さから出ているんですね。
まあ、神経質な人々もいましてね。ちょっとしたことでびっくりする。わたしを見ただけで、「ギャーッ」と泣く人もいるんだからね。ときどき、子供を抱っこしているお母さんが、わたしを見ただけで、びっくりして興奮して怖くなって。しかし、子供はニコニコと笑って手を振っているんです。そのお母さんに、この子供を育てられますか? と思いますけどね、これはしようがないんですね。それぞれの人に神経質など度合いが違いますからね。
しかし、いまだかつて見たこともないものを見たんだからって、びっくりする必要はないでしょう。そんなものは見えるわけないと、なんで自己暗示をかけていますかね?
自分たちが自己暗示をかけているんですね。「こんなことは起こりませんよ」と。
わたしは、いっぱい放射能を浴びるために十階に住んでいますから(笑)、その階まであまり人は上がってこないし、誰かが来たらびっくりすると思いますか? びっくりしないんですね。いろいろ音は聞こえますが、わたしは全然びっくりしない。
わたしたちはそうやって、暗示をかけているんですね。「こういうことは、起こりません」と。
たとえば飛行機に乗ったら、無事着陸できると暗示をかけているんです。そこで何かあったら、みんな混乱してしまうんですね。新幹線に乗ったら、安全で無事に、着くべきところに行けるんだよと、ドカーンと安心しちゃうんですね。それってある程度の暗示なんですね。
だから何か見たところでびっくりしたりはするんですね。
ちょっと慣れてみればね。たとえば、皆様方はわたしには当然慣れているし、外国人には慣れている。そこへ突然、新幹線に乗っているときに、ものすごい巨体の外国人がドーンドーンと乗ってきても、別に、と言う感じで、わたしなら「面白い人だ」と思うくらいなんですね。目が合えば挨拶もするし、向こうがしゃべりたがっているならしゃべったりもするし。
「世の常」という言葉をしっかり覚えてください。
世の常でないこと以外、何も起きません。何か起きても、それは「世の常」なんですね。
(冷静になるには(後編)|割れたバター壺 に続きます)
関西定例冥想会 2011.03.21
http://www.voiceblog.jp/najiorepo/1353623.html
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