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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

最終回・本当に「幸せには定義がない」のですか?(6)

幸せ 作業工程1(慈悲の実践) 説法めも

本当に「幸せには定義がない」のですか?(5)アーナンダ尊者が「釈尊、寿命を延ばしてください」と言わなかったのはなぜか から続きます)

一日一秒でも、何とか人の役に立つような生き方をしましょう。

それは他人の役に立たんだったら、自分の役に立つ生き方でもしましょうと。

 

だからわたしなら、何もやりたくないときは、自分の勉強でもしましょうと。

 

普段説法するために調べることは、自分の勉強だと思っていません。全然役に立たないあほなことを調べるときは自分の勉強だと思っています。

まるっきり関係ないものを調べたりします。いわゆる管轄外のいろんなテーマとかね。

人の役に立つことが出来ない場合は、自分の役に立つことをする。人の役に立つチャンスがあった場合は、すぐやる。

 

仏教の世界では、このように皆さんで集まるときでも、厳しい環境じゃなくて、みんなが家族だという感じで、汚れを見た人はちょっときれいにする、ごみ箱がいっぱいだと見た人は片づける。そういうふうに目に入ったことをちょっとやる。

 

それから、誰も命令することはないんだから、結構みんな気分がいいんですよ。

誰かがこちらの若者に、「掃除機かけなさい」と言ったら、若者は体力があるからやるかもしれませんけど、言われてやるということはその人の人間にとっての独立性にちょっと傷つけることになるんですね。

そうではななくて、自分から「ちょっと掃除機かけます」と勝手に出たらならば、その人は偉いんですよ。

そういうふうに他人の役に立つということはそんなに大変なことじゃない。

 

それが、自分の幸せです。

「今日は無駄でしたか?」と聞かれたら「いえ、結構役に立ちました。今日はよかった」というふうに、お休みになるときはそういう気分でお休みになるほうがよろしいでしょう。そのように自分の幸せを管理することですね。

 

無常でない幸せは涅槃ということで決まっています。

 

政府とかが考える、国民の幸せがどうとか、そういうのは全く関係がない。

だから誰も動いてないんです。これほどこの国がひどい目に合っているのに、この生ぬるい空気は何かと。もう信じられない。

 

最初は落ち着いてよかったんですけど、今は何だこの落ち着きは、と。(聴衆笑)

とんでもないことじゃないか、と。ビシビシと動けと。みんな動けば、すぐまた新しい世界作れるでしょう。

動かいないで、データ取っているんですね。そんな暇があるのかと。

自然に土砂ダムができていて、それを計算しながらデータ取っていますね。そうじゃなくて何とかしろよと。そんな場合じゃないんだからね。何センチ日本が動いたとかね。

 

そうではなくて、家が壊れた人に家を作ってあげるとかね。壊れた道路を作ってあげたりとか、そういうのはないんですね。国民としても動かないし、動いて活動したほうがいいと思いますよ。みんな一斉に毎日動いていると、泣いて悩んでいる暇がなくなるんです。

 

そういうわけでわれわれは、毎日ビシビシと動かなきゃいけないんです。

それは究極的な幸せではありませんが、その時その時、今日はよかったと、そういう気分ですよ、幸せっているのは。

 

「今日はよかった。これとこれくらいのことはできました」と、無常の世界で、負けずに生きてみるんです。

それからこころの煩悩をなくすことが究極的な幸せです。そこまではどんな幸せでもすぐ崩れます。崩れたらまた新しい幸せを作らなくてはいけません。

それがやりきれないと思うならば、解脱に達するしかないんです。

(おわり)

 

関西定例冥想会 2011.09.17

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/1574082.htmlよりメモしました。

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 「本当に幸せには定義がないのですか?」シリーズ全6回

 

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