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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

ブックレビュー「妬まない生き方」|初めて『喜び(ムディター〈Mudhitā〉)の実践』を紹介した本

Diary

「嫉妬は『怒り』より恐ろしい」という一文から、この本は始まる。

 

 

では、嫉妬とは何なのか ? 

スマナサーラ長老によれば、「嫉妬とは怒りの変身した姿」と言う。

怒りと嫉妬の違いは何かというと、怒りは、「たとえば怒ってけんかした時に謝ったり許したりして怒りが消えることもあるが、嫉妬にはこのチャンスがないのでなかなか消すことができない」とある。

 

嫉妬を消すチャンスがあるとすれば、自分の嫉妬心を素直に反省し恥じ入ればいいが、 「問題は、ほとんどの人は『自分が嫉妬深い人間である』と認めたくないことです」 (p10)と書かれている。

 

これは自分に置き換えてもその通りだと思う。この本のタイトルから、「このブックレビューを書くと、自分が『妬む』生き方をしている人間だと告白している感じがする」と、ためらいがあったのは確か。

しかし、「嫉妬心を持たない人はいない」(p11)と言われて少し気が楽になる。

さらに本書は、単なる嫉妬対策ではなくて、 「初めて『喜び(ムディター〈Mudhitā〉)の実践』を紹介することにしました」 (p18)という画期的な本になっている。

 

それでも、「わたしはたいして嫉妬には困らされていないから大丈夫」と自分自身に言い聞かせてパラパラ読みで済ませたかったのであるが、それを見透かされたように「日常生活を営む上では、たまに怒ってしまう場合もあります。しかし、怒ることはあっても、嫉妬することは、たまにであっても良くないと憶えておいてください」(p17)と釘を刺されてしまった。

もう最後まで読むしかなかった。

 

さて、「喜び(ムディター〈Mudhitā〉)の実践」については後半の章に詳しいが、これは多くの方がおなじみかもしれない「慈悲の冥想」を基礎としている。しかし、「それならもう知っている」と思うのは早計だ。

ここでは、「アンガー・マネジメント」ならぬ「マネージメント・オブ・コンテンツメント(充実感の管理)」のやり方として詳しく書かれている。

 

慈悲の冥想を、「喜」を感じる訓練としてやっていくことで、心身の健康・記憶能力の向上という過程を経て、喜びの頂点としてのサマーディ(禅定)への道筋が記されている

 

本書を読むことで、嫉妬心の克服だけにとどまらず、気付くとワンステージ上の生き方への入り口が見えてきて楽しくなるという、まさに「喜び」の実践になっている。

 

 

 

【追記】 

ところで、一度も嫉妬したことのない人が、状況の変化で突然人を妬むことになることもあるという。(p74)

 

「だから、自分の性格にうかつに自信を持たないほうがよい」そうだが、関連した仏典のエピソードが紹介されていた。

あのアーナンダ尊者さえも、阿羅漢果に達していなかったという理由で、第一結集に出席するには信頼性に欠けているとマハーカッサパ尊者に判断されたのだそうだ。そこでアーナンダ尊者は背水の陣で修行にのぞみ、一夜にして阿羅漢果を得た。

 

このことから、

「仏教は『完全な解脱に達しない限り、生命は信頼に値しないのだ』というスタンスを取っていますが、それは人間を軽視しているからではありません。生命の法則を知り尽くしているから、ありのままの状況を説明しているだけなのです」

と説明されている。

 

このエピソードは重要だと感じたので、ちょっと長いのだけれど、その部分を引用して残しておき、また読み返せるようにしようと思う。 

  

「一度も嫉妬したことのない人が妬むとき」(p74)

ひとたび状況が変われば、嫉妬や怒りなどの煩悩が出てきます。だから、自分の性格にうかつに自信を持たないほうがよいのです。

(略)

自分の心というものは「相当怖い存在だ」とわきまえたほうが安全です。なぜならば、われわれが生かされている本能は、貪・瞋・痴だからです。

仏教は「完全な解脱に達しない限り、生命は信頼に値しないのだ」というスタンスを取っていますが、それは人間を軽視しているからではありません。生命の法則を知り尽くしているから、ありのままの状況を説明しているだけなのです。

 

「アーナンダ尊者とマハーカッサパ尊者の話」

この状況を示すエピソードが、仏典にはたくさんあります。有名な話をひとつ紹介しましょう。

アーナンダ尊者という人がいました。四十年あまり、お釈迦様に付きっきりでお世話した人です。彼には一回話を聴いたら、それを正確に丸暗記する能力があり、お釈迦様が説かれた説法をすべて丸暗記していました。

お釈迦様が八十歳で涅槃に入られたあと、出家の一番上の長老はマハーカッサパ尊者でした。マハーカッサパ尊者は、お釈迦様が涅槃に入られたので、いままで説かれたすべての教えをまとめて、整理整頓して次の世代に伝えなくてはいけないと考えました。それで有名な「第一結集(お釈迦様の教えを正しく伝えるため、覚りに達した五百名の仏弟子が集まった大会議)」をおこなうことになったのです。

ここでマハーカッサパ尊者は、大きな問題にぶつかります。ブッダの教えをすべて丸暗記しているのはアーナンダ尊者です。したがって、アーナンダ尊者抜きには結集はできません。しかし、アーナンダ尊者は完全に覚りに達しておらず、覚りに達してない人を信頼することはできません。

「信頼できない人を結集に参加させるわけにいはいかない」と思ったマハーカッサパ尊者は、しかし、アーナンダ尊者の師匠役も務めていたので、彼にこのように言いました。

「明日、結集をおこないます。しかしあなたは未熟です。参加させるわけにはいきません。今晩、まじめに励みなさい」

この言葉を聞いて、アーナンダ尊者は事の重大さを痛感し、一晩必死で修行に励みました。そして朝方、完全なる覚りに達したのです。結集を開始する時間に、見事に間に合ったのです。

このエピソードは、四十年間もお釈迦様に付きっきりで付き合っていた、また、奇跡的な才能を持っていた偉大なる尊者であっても、完全に覚りに達していない限りは信頼されないことを物語っています。

(引用終わり)

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