(マハーカッサパ大尊者へのお見舞い - 新年法要2016(12) から続きます)
マハーカッサパ尊者は、あの生活でしたからね、ひどい病気になったでしょうね。
一度たりとも、まともなものを食べたことがないんだから。汚れたもの、腐ったもの。乞食が集めて、その残ったものをお布施されて食べていたんだから。どれほど存在欲がないのかということです。他の阿羅漢たちも、あそこまではちょっとごめん、というくらい。
そういう方に教えた経典なんですけど、わたしが言いたいのは中身。
これであなたも元気になりますよ、と言う言葉はないんです。ブッダの力によって祝福しますから早く元気になって、という言葉もないんです。ただ、「カッサパ、あなた七覚支を知っている?」それだけ。「七覚支とはまず、気付き・サティという覚支があります。それは完全に実践して、完了するならば、解脱に導きます。それから択法覚支があります。……」と七覚支を唱えただけ。
そこでなんの秘密があるかと言うと、七覚支というのは、いかに存在欲をきれいに出して滅尽する方法なんです。
あの七つがこころについたら、もう解脱に達するんです。マハーカッサパ尊者はそれをやって終わっているんです。お釈迦様が唱えた言葉を聞くと、自分がやったことで、完成したことで、存在欲を出し切って、滅尽したことが、こころに浮かんでくるんです。いかに存在欲って恐ろしいかと、それが自分にないことを確認する。その瞬間に病気が治っているんです。
ですから、この受け取り方ね。
そういうふうに理解しなくちゃ。これは、スリランカでもミャンマーでもタイでも、お坊さんたちは言わないことを言ったんです。やり方が違いますよと。そんなやり方では祝福にならないんです。
宝経(たからきょう)のテキストがあったら読んでみてください。*1
宝経では、生命が幸せでありますようにと祝福が入っています。しかし、中身は、覚った人の精神状態が書かれているんです。たくさん書いてあるのは、預流果に覚った人のこと。二つくらい阿羅漢のことも書いてありますけど。覚った人はどのようなものかと、そこでは、存在欲を出して(滅尽して)しまったことをうたっているんです。それが祝福なんです。本物の。*2
(次回 全部お布施するなんて - 新年法要2016(14) に続きます)
<スマナサーラ長老-新年祝福法要@マーヤーデーヴィー精舎 2016.01.17
https://www.youtube.com/watch?v=lRWqbF9hFBs より書きました>
目次8‐講演会/お釈迦様のエピソード・ほか - 瞑想してみる
http://www.j-theravada.net/sutta/Ratana_Suttam.html
*2:2014/12/12 N0.598 宝 経 Ratana suttam (パーリ経典を読んでみよう)