質問
「六根の瞑想法について、最近お話しされていると思うんですが、六つの感覚器官に六つのデータが触れて、事実を合成してしまうということでしたが、なぜ合成してしまうのでしょうか?」
回答(スマナサーラ長老)
脳っていうのは、もともと合成する神経システムになっているみたいですね、医者によると。
科学者は人間だけが対象ですけど、仏教では他の生き物も、データを合成するんだと。たとえば、野生の猫だったらゴキブリを見たら「おいしそう!」と思っちゃうでしょう。人間からみたら「気持ち悪い」と合成してしまいますね。本当はどちらでもないんですけど。
配線が現れるときは、「自分」と言うselfを一束にまとめる。左脳のある場所でデータを合成するようにできているんですね。
六根の話の場合は、眼耳鼻舌身に入る情報をねつ造する。たとえば、「花」と言うのもねつ造ですけど、あるものを見ると「花」ということで決まっている。六番目、思考するときは(意のときは)、合成から合成なんですね。ねつ造からねつ造なんです。だから冥想のときは思考しないでと言います。見ること、聞くことをやめてとは言わないんです。「思考をやめて」というのは、思考が特にひどいんです。思考とは妄想になるんですね。
専門的な冥想の説明する場合は、六根の冥想と言うのがあるんです。あるんだけど、実際は、念処経の気づき冥想の場合は五根ですね。六番目(意)はとにかくやめる、というやり方でやっています。
六根の冥想について:
http://thierrybuddhist.hatenablog.com/search?q=%E5%85%AD%E6%A0%B9