六根 の検索結果:
…知足易養俗物少 倹朴六根悉平静 謹慎謙虚不俗攀 慎勿違反繊細罪 以免将来智者訶 応常散発慈愛心 唯願衆生得福安 普願一切諸衆生 心常喜悦住安楽 凡有生命強或弱 高壮中等矮粗細 可見或是不可見 居於隣近或遠方 已生或是將生者 一切衆生常安楽 願彼恒於一切処 不鄙視亦不欺瞞 仮使憤怒怨恨時 心亦不念彼得苦 尤如母親以生命 護衛自己独生子 願能如此於衆生 施放無限慈愛心 慈愛遍及全世界 上下地平四維処 遍満十方無障礙 無有敵意或仇恨 無論行住或坐臥 若是心中覚醒時 応常培育此正念 …
…ら、達する結論に違いが生じることだ。長部経典第一のエピソードでは、その落とし穴に落ちた禅定の達人たちが邪見に陥ってしまう例が出てくる。 そんなふうに、光の粒のパズルが映し出した世界で相当量の過去を遡れないと、”科学的に” 邪見にはまり込んでしまうかも。 科学的であっても、禅定的であっても、六根の情報は、それはそれで受け止めるだけにしておいたほうがよさそうだ。 Charaも冒頭の曲で「タイムマシーンは来ない。時間は戻らない」と歌っている。 みなさまどうぞ善い一日を。
…》 参考過去記事: 六根の意門とは何か?(後編) 唯識(ゆいしき)、という大乗仏教の一般論があります。大乗仏教とは、もともと哲学的でしたし、徹底的にヒンドゥー教主義という二つの流れがあって、最初は哲学の世界で、中観派と唯識派の二つなんですね。それから、力がなくなって絶えてしまったんです。それで信仰だけが残った。祈祷・儀式とか。そういうだらしないところだけが残って、哲学的なところが死んじゃったんです。 唯識の言っているところは、すべての現象の世界は、こころが作る幻覚だと。建物も…
…ういうことで、渇愛は六根から栄養を受けて、渇愛がドンドン強化されていくんです。 すべて無常だからそうやって変化していくんです。 (続きます 今もわれわれは転生しつつ - 十二因縁(11)) スマナサーラ長老法話・関西月例冥想会 2013.12.15 https://www.youtube.com/watch?v=4vsnfGBmmrg を聞いて書きました。 参考外部サイト: 仏教的に正しい禅定の作り方 六根から入る情報は入らせておいて、自分の心がそれに囚われないようにすればよ…
…。それをよく理解して六根にいったら、自分が消えちゃうんです。 「舌」 この舌は、変化するもので無常です。 この舌は、わたしではありません。 因縁によって変化するので、わたしのものでもありません。 わたしのものにならない舌に執着しないように励みます。 舌に触れる味は、変化するもので無常です。 舌に触れる味は、わたしではありません。 因縁によって変化するので、わたしのものでもありません。 わたしのものにならない舌に触れる味に、執着しないように励みます。 舌に味が触れることによって…
(六根の意門とは何か?(中編) から続きます) そういうことで、かなりややこしい世界なんです。一般現代人に向けてしゃべれることじゃないんです。わたしが結局何を言いたいかと言うと、わたしたちのこころの中で、過去に起きたデータを勝手にねつ造して、それを掻き回しているけど、ごみ以外なんでもないんです。貪瞋痴が生まれるだけなんです。 しかし意門ていうのは、そんなに悪者でもない。意門は自由になったら、過去現在、アビダンマでは未来と言うんだけど、ちょっとそれが怪しいんですけどね、過去現在…
(六根の意門とは何か?(前編) から続きます) 物事の関連性を発見するのは、眼耳鼻舌身ではないんです。たとえば何か食べてみて「マズい」と感じたらそれで終わるべきなのに、「あなたの料理は下手です」と言うんです。その関係はどうやって作ったんですか? 目? 耳? 鼻? そうじゃないでしょう。意門ですね。 料理がマズかったのは、本当にそれを作った人の腕が悪かったからですかね? 客観的にまだ調べていないのに。そういうこでわれわれは結論に飛びついちゃうというのが、意門の働きです。 そこら…
質問 「六根についてお伺いします。眼耳鼻舌身意の中の、意門とは何ですか?」 回答(スマナサーラ長老) 意門の場合、仏教の説明はややこしいです。われわれは一般的な知識で理解しようとするので、そこら辺はギャップがあります。現代知識では、何か物質的なものがないと理解できないというところがあります。だから、意門はどこにありますかと聞いたりもする。脳の中ではないのかとか。 じゃあ、まずその立場から説明しますね。意門と言うのが脳であるならば、脳に直接データが入りませんし、目や鼻から入った…
…なく、嫌うことなく|六根を追う冥想 食べる冥想 無意識のうちに人をジャッジしてしまう 自己流から身を守る方法 自己流と工夫 功徳(1) ~ 最終回 - 功徳(11) 冥想中、思考がないような状態になりました 四念処のうち、「法の観察」の冥想方法 冥想ができなくなってしまいました(1) 冥想中に声が聞こえる 現代マインドフルネスとヴィパッサナーの違い。 冥想中にラップ現象? 歯磨きの時のヴィパッサナー 私はもっと華々しいことをやりたいのです! 「放っておく」と「妄想をカットする…
…(中編) (後編) 六根の意門とは何か?(前編) (中編) (後編) 心とは脳じゃない、命のことです お布施ってどういうこと? - カティナ衣法要(1) 最善の選択(1) ありのままに見る(正見) 生命はもともとバカであるというが、どうしてそういうふうになっているのか? 修行で滝に打たれたりしないんですか?【八正道-正見】前編 修行で滝に打たれたりしないんですか?【八正道-正見】中編 なんで人は念じるのか?(1)迷信と経験的結果」 なんで人は念じるのか?(2)繰り返しでこころ…
質問 「六根の瞑想法について、最近お話しされていると思うんですが、六つの感覚器官に六つのデータが触れて、事実を合成してしまうということでしたが、なぜ合成してしまうのでしょうか?」 回答(スマナサーラ長老) 脳っていうのは、もともと合成する神経システムになっているみたいですね、医者によると。 科学者は人間だけが対象ですけど、仏教では他の生き物も、データを合成するんだと。たとえば、野生の猫だったらゴキブリを見たら「おいしそう!」と思っちゃうでしょう。人間からみたら「気持ち悪い」と…
…感じている。 これは六根に基づいてヴィパッサナーをやる方法なんですね。思考もなんか、別な流れとして見て、「ああ、なんか思考している」と。感情があって、流れている。怒り・嫉妬・落ち込み・憎しみ、とかね。なんか自分と関係ないものとして、この六つの流れを見ているんですね。それで、ドンドン、ドンドン、智慧が現れてきて、真理に達します。ということは、最終的に、日本の大乗仏教の言葉で言うならば、「空(くう)」あるいは「無(む)」ですね。自分と言うものがあると有(う)になります。自分自身が…
…びぜっしんい)という六根(ろっこん)がありましてね、そちらにデータが絶えず触れているんです。*1 だから、目に見えるものに心が反応する。耳に、鼻に入るものに心が反応する。舌に触れる味に心が反応する。体に触れる感覚に心が反応する。それからアイディア・概念にも反応する。それで六つになるんです。 反応する心というのはいい加減なんですね。 たとえば、花を観たら「ああきれい」と反応するかもしれないし、「別に」と反応するかもしれません。データに対していい加減に反応するんだから、誰の心にも…
The six indriyas, or sense organs: eye, ear, nose, tongue, body and mind. 体が外部の情報を感じ取る6か所の器官。目耳鼻舌身意(げんにびぜっしんい)。 この六根を通して得る情報のことを、色声香味触法(しきしょうこうみそくほう)という。