(執着が成り立たない-ブッダが説く諦めとは何か(7) から続きます)
人の気持ちは変わりますよ。好みも変わりますよ。ときどき八十歳のおじいさんでも、気に入ったおばあさんと結婚しようと思って、孫たちも困って「おじいさん、何をやっているのか」とかね。わたしは別に、「ああそうですか」と思いますけど。
おじいさんに財産がたくさんある場合は、子供たちが再婚に大反対するんですね。しかし、人生はそんなもんなんです。なんでも変わっていってしまうんですね。
だから、悪く言えば、何も信頼できませんよ。たとえば、ある人が、うなぎが大好物だとする。それでその人を接待するときに、ほかの人はいつもうなぎを用意する。しかし、人が好物を食べたいという気持ちはずーっと続くんですかね? いつもうなぎを周りの人々が用意してくれるんだから、うなぎを見るだけで気持ち悪くなる可能性もありますよ。
わたしも、どこか地方に行くとインド料理屋に連れて行ってもらいますが、わたしはインド料理食べませんよ、本当は。でも政治家みたいにニコニコして、「ああ、とてもいい店ですね」とかね。これは坊主としては苦しいんですよ。政治的な言葉を言うのは。
とはいっても、わたしは自分の国で何を食べていたのかと言うと、自分の国の料理を食べていたんですけど。だからといって、わたしが死ぬまでそういうものを食べていくんだと思うというのは、どういう思考ですかね? 日本に三十年もいたんだから。いまだに国の料理を食べていると思うのは……。人間と言うのは変わるんですよ。これは毎日変わるんですよ。朝の人間と夜の人間は違います。
わたしも、ニコニコとしているのは朝だけなんです。脳がほとんど寝ているんです。夜十時半になってきたら、おっかないんです。そのときに質問したり議論しないほうがいいです。どこまでしゃべるかと。ちょっとでも言ったことを理解しなかったら、どこまでもしゃべるんです。午前中はいいんです。脳が動いてないんだから、いくらか落ち着いてしゃべります。十時半になってくると、脳がいきなり復活します。だからできるだけその時間はひとりでいるんです。すごく怖いですから。
だから、人って変わるでしょう。朝、ゲラゲラと冗談を言ってしゃべっていたんだからといって、夜もその調子でいくと大変なことになるかもしれませんよ(笑)。夜になったらすごくまじめな話以外はしゃべりません。難しいことを何でも言う。
皆様も同じなんですよ。朝の自分は昼にはいないし、昼の自分は午後にはいない。午後の自分は夜にはいないんですよ。これは、ずーっと滝みたいな感じで変わっていくんですね。止まるものは何もないんです。その時その時、一時的に何かを掴みます。掴みますけど、次の瞬間に捨てなくてはいけない。
それが、諦める生き方なんです。執着はしない。まったく執着しない、ではなくて、一時的に執着します。おなかが空いているときには弁当に執着しますけど、すぐに諦めます。食べる場合は問題ないんですよ。皆様はときどき買いだめするでしょう? 安く売っているからと大量に買ったりとかね。ときどき女性の方々は服とかドカーンとカートに入れて、半額になっているからと喧嘩して引っ張り合ったり。喧嘩までして買っても、それを使うのかいと。使うなら買っても構わないよ。
(人生も日々変わる-ブッダが説く諦めとは何か(9)に続きます)
関西定例冥想会 2012.07.15 ブッダが説く諦めとは何か
http://www.voiceblog.jp/najiorepo/1766862.html より聞いて書きました。
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